愛とは、全人生をかけてアイドルにチェスを教えること。

フリルドスクエアと行く、奥深いチェスの旅。

『モノクロームの煉獄』第3話 解説

 

 春分とは、昼と夜の長さが同じになる、といわれますが……実際は私たちの国ではまだ昼の方が少しだけ長いのです。こんばんは、今夜もお付き合いください……『モノクロームの煉獄』第3話の解説をしていきたいと思います。

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 恒例となりました、サブタイトルの紹介ですが……『suum cuique』は「各人に各人のものを」という意味です。転じまして、各人にはそれぞれが応分に持つべきものを与える、そんな風に今日では解釈されていますね。それぞれが持つべきものとは何なのか、それは劇中の奏さんが高校三年生という過渡期に感じる戸惑いとも根深い、永遠の命題ではないでしょうか。

 

 煉獄、という言葉は少しずつ織り交ぜられていましたが、しっかりと触れられたのは今回が初めてでした。神の徒・クラリスさんの口から語られる煉獄とは、先行する言葉のイメージとは異なり、『浄化』の場であり、聖性を付加するための試練である、というもの……その説明を聴き、迷いを払拭し何かを決意した様子の奏さん、これからも目が離せない展開が続きそうです。

 クラリスさんといえば、彼女の科白に登場する「アビラの聖女テレサ」について少しの解説を……

 聖女テレサはチェスが盛んな時代に、「完徳の道」という神の教えを説く著述の中で美しくも的確なチェスの喩えを用いたことで知られ、今でもクリスチャンのチェス・プレイヤーの中で語り継がれている、チェスの守護聖人です。彼女の教えについては気になりましたら調べて戴ければ、と存じます。本も出ておりますので……

 

完徳の道

完徳の道

 


 作中のゲームを解説して行きましょう。

 今回の舞台設定は、チェス・コンテストの準決勝でした。才能と運を味方に、初出場でここまで勝ち上り存在感を示したアイドル・速水奏が白番を持ち、黒をもって迎え撃ったのは現状日本一のプレイヤーとして名高い宮本フレデリカ。奏が主役を演じた映画でチェスの考証についたフレデリカは、映画で使われ奏にとっても印象深い『セント・ジョージ・ディフェンス』で彼女と対戦します……

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(Figure.1 : 1. e4 a6)

 IMのMichael Basmanはこのオープニングに「このオープニングの理論はすでに大半が整備された」と述べていますが、研究が無い状態で相手にすると狙いどころがわかりにくく戸惑う戦型だと思います……このオープニングに限らず、早い段階でaファイルやhファイルのポーンを突くことを好むプレイヤーはアマ・プロ問わず少なくないのですが、それはフィアンケットや中央に跳ね出すナイトと相性がよく、また序盤に相手のビショップが急所に出てくる手を予め潰しているというメリットがあるからでしょうか。デメリットはご想像の通り、相手に自在にセンターを張ることを赦してしまうところです。

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(Fig.2 : 2. Nf3 e6 3. d4 d5 4. e5 c5)

 e6~d5~c5の流れは黒番でまま見られる、とは前回の解説でも触れさせていただきました……

 フレンチ・ディフェンス型のセント・ジョージ・ディフェンスではe6を起点にこうやって組むのが洗練されていますね。

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(Fig.3 : 5. Bd3)

 これは捻った印象の手ですね。キャスリングを急ぐ意味ですが、自然に5. Nxd4 Ne7として+/-という局面ですので、僅かに黒が指しやすくなった感触があります……

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(Fig.4 :  5. ... cd 6. a3 Nc6 7. 0-0 Bc5 8. b4 Ba7)

 Bb6と引く方がやや勝ったか、というところですね。というのは、Na7~Nb5の繰り替えが可能か否か、というところで、それをとがめだてされなければあまり変わりはありません。a3~b4の形はBb2とフィアンケットを組む形と非常に相性が良いのですが、これを見越してd4にナイトとビショップふたつのピースの利きを重ねているあたりが、『過剰防衛』の印象を劇中の奏に植え付けたのでしょうか。

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(Fig.5 : 9. Bf4 Bd7 10. Re1 Nge7 11. Nbd2 h6 12. h4 0-0 13. Nb3)

 11手目ではBg5とピンされるのを嫌ってh6を突く手に代え、Ng6やRc8、はたまたQc7という手も黒からはあり、そのどれもがh6よりは勝るという局面でした。実はここでは奏が思うよりも差が縮まっていたのですね……。

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(Fig.6 : 13. ... Rc8 14. Qd2 Ng6 15. Bxh6)

 ここの白は適切な手だけを指しています。この対局から伺えることは、奏には経験からくる技術が乏しく、フレデリカは臆病な受けの棋風であるあまり、手にしたアドバンテージをみすみす詰められてしまう嫌いがあって国際大会で苦戦を強いられている――という背景でした。ラフながら、奏には彼女の棋風として完成されるべき資質がある……そんな棋譜が目指されています。主人公のチェスがどのように洗練を獲得していくのか、その辺りも見どころですね。

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(Fig.7 : 15. Nxh4)

 実はこれは黒から捻り返した、というよりある意味仕方が無かった手、といえるでしょう。なぜなら……

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(Fig.8 : 16. Nxh4)

 手の流れからは自然に見えますが、このエクスチェンジに乗ってしまうのは白の早計でした。代えてNh2/Bg5で+/-、そしてQf4とすると天秤の針は僅かに白に傾き出したと思われます……以下は16. ... Nxf3+ 17. gf f5 18. Qg3 Qe7が一例でしょうか。

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(Fig.9 : 16. ... Qxh4 17. Bg5 Qh5 18. g3 f6 19. ef e5)

 Nc6の庇護を受け、d4~e5のチェーンの固いこと……伸びやかさは奏の指し回しに軍配が上がりますが、果たして。

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(Fig.10 : 20. Bh4 gf 21. Bf1)

 これも仕方ない手、です。簡単に土俵を割らないとはいえ、受けるためだけに攻撃ピースを引かされるのは見ていて辛いところですね。

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(Fig.11 :  21. ... Ne7 22. Qe2)

 絶好の位置に据えられたクイーンに、白からクイーン・エクスチェンジを打診します。他に差す手がない、という状況ですが、Bg4が見えているだけにこれも辛抱の手です。そして、これはおそらく、実らない類の辛抱……

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(Fig.12 : 22. ... Bg4)

 ここでQd2と手を戻すと、1手パスした計算になるのでいよいよ白は苦しいですね……

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(Fig.12 : 23. Qd2 Ng6 24. Bg2)

 Bxd5+を狙いながら、キングの退路を作る手です。この手に対して考えられる限りもっとも残酷な手がこの後白を襲いましたね。

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(Fig.13 : 24. ... Nxh4 25. gh Rf7)

 苦境の中でようやく希望が見えてきた……そんな局面では、指したいと思う手が実際の評価よりもよく見えてしまいがちです。そして、それがルークをピンするというような場合、「相手の読み落としか?!」と訝ってしまいながらも、降って湧いた好機と飛び付く……あると思います。こういう手が無情にも弾かれるほど、心が折られる展開もないのですが……

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(Fig.14 : 26. Bxd5)

 将棋もそうだと伺いますが、ある程度以上になると顔を合わせる相手というのは固定されてきます。なので、相手を脅威を認めるからこそ、徹底的に叩いておきたい――そんな一流プレイヤー・フレデリカの心境の変化がここ数手から見て取れます。

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(Fig.15 : 26. ... Bf3)

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(Fig.16 : 27. Bxf3 Qxf3 28. Kh2 Rh7)

 ここで浮いたルークがしっかりと詰みに利いてくる、これほど堪える展開もなかなかないでしょう……

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(Fig.17 : 29. Rg1+ Kf7 30. Qg5

 決死の延命措置ですね。とっくに投了しても良い場面で、投げきれない彼女の葛藤とそれを受け止める先輩プレイヤーの懐を見ます。

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(Fig.18 : 30. ... fg 31. Rg2 Rch8 32. Kg1 Rxh4 33. Kf1 Rh1+)

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(Fig.19 : 34. Rg1 Rxg1+ 35. Kxg1 Rh1#)

 最後は紛れる余地のないメイトでした。全体の棋譜は、

1. e4 a6 2. Nf3 e6 3. d4 d5 4. e5 c5 5. Bd3 cxd4

6. a3 Nc6 7. 0-0 Bc5 8. b4 Ba7 9. Bf4 Bd7 10. Re1 Nge7

11. Nbd2 h6 12. h4 0-0 13. Nb3 Rc8 14. Qd2 Ng6 15. Bxh6 Nxh4

16. Nxh4 Qxh4 17. Bg5 Qh5 18. g3 f6 19. ef e5 20. Bh4 gf

21. Bf1 Ne7 22. Qe2 Bg4 23. Qd2 Ng6 24. Bg2 Nxh4 25. gh Rf7

26. Bxd5 Bf3 27. Bxf3 Qxf3 28. Kh2 Rh7 29. Rg1+ Kf7 30. Qg5 fg

31. Rg2 Rch8 32. Kg1 Rxh4 33. Kf1 Rh1+ 34. Rg1 Rxg1+ 35. Kxg1 Rh1#

となってます。

 

 各人に、各人のものを――

 奏が、フレデリカが、それぞれに意識の変革を迎えた第3話でした。速水奏が担当プロデューサーに持ちかけた相談の内容とは如何に……今夜もお付き合い頂きまして、ありがとうございました。鷺沢文香でした。

 

(続く)