愛とは、全人生をかけてアイドルにチェスを教えること。

フリルドスクエアと行く、奥深いチェスの旅。

May the Magic of Halloween be with you. -3-

 

「うーん……よくわかりませんね」

 

 輿水幸子は、勉強机の前で、パソコンから顔を上げて天井を仰いだ。そのまま、背凭れに体重を預け、足を延ばしてくるくると回る。

 

「何が楽しいのか、わかりません」

 

 幸子が今しがたまで覗いていたモニターには、チェスの対戦画面が映っている。しかし、手番が相手の状態で、残り時間を示す数字だけが一定の間隔で減っている以外、動いているものは何もない。

 観る者が観れば、幸子が大差でゲームを押し込んだのだとわかる局面だが。

 

「ハメ手でも切れ勝ちでも、一勝の価値は一緒……ホントでしょうか。数字としては一緒でも、もっと大事なものがある気がします」

 

 幸子は、パソコンをそのままに、机の上のノートを取り上げる。そこには、次の試合に向けてのメモがびっしりと、細やかな文字で書き込まれている。外ハネを撫でながら、彼女はそのラインを頭の中に反芻した。 

 

「勝ち負けも大事ですが、見てくれている人に恥ずかしくない、ファンが楽しめるようなゲームがしたいものです。そうして、それには何よりボクがカワイく楽しまないと……」

 

 モニターの中で、相手の時間が尽きた。

 

 

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「チェスはね、この世でもーっとも、楽しいゲームなの。無限の可能性があってね……可能なゲームの数は、この宇宙の星の数より多いんだって!」

 

 白坂小梅は、目を輝かせて、誰もいない空間に語った。彼女はひとりで棋譜ならべをしているにしてはかなり速いペースでピースを移動させている。手許は良く見えないが、その姿はまるで見えない何かと対戦をしているかのようであった。

 

「最近勝てるようになってきて、いくら勝ち負けと楽しさは別だと思っても、やっぱり勝てると楽しいな、って思うんだけどね」

 

 メタルピースが澄んだ音を立てる。白いピースに指を掛けた小梅から少し離れた場所で、黒のキングが倒れた音だ。

 

「それは、自分が強くなれたシルシ、だからなのかも。この世で最も楽しいゲームであるチェスから、可能な限りの楽しさを引き出すために、努力をするんだよ」

 

 彼女の語り口は、誰かに教えるかのように、懐深げで、やさしかった。

 

 

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 このところ目にしている、自分より年少のプレイヤーたちがチェスボードの中で自我を獲得していく様に感化されるようにして、宮本フレデリカは、チェスに迷った自分を振り返っていた。そして、誰よりも深いところで通じ合ったアナスタシアのことを想う。チェスの愉しみとは、マゾヒスティックなところがあるのかもしれない。スナックスティックをつまみながら、フレデリカはそんなことを考えた。

 

 速水奏は、内在化していくことの難しさと、変容する文化へと思いを馳せる。文化も個人の営為の堆積であるのだから、「自分が楽しい様にやればいい」というのは思考停止のお題目ではないのだ、と解を慈しむように確認する。自分の楽しさは、周りのノイズによって一片たりとも傷つけられ得ないからこそ、尊いのだと。

 白い駒をいじり、ドアを閉めて出ていく奏。彼女は知らないが、その風で黒のキングが、倒れた。

 

 *

 

  楽しむことが、ハロウィン・コード。

 

 *

 

 今日は、『U-14 Halloween CHESS Tournament』、10ラウンド目の最終局だ。他の試合の結果は出そろい、あとは優勝と準優勝が決まるだけとなっている。残ったふたりの全勝者が技を競い力を較べる、大一番だ。

 今日は中継のほか、アイドルが現地で大盤解説を務めるということもあり、秋冷えの中にあって会場は試合開始前から異様な熱気に包まれた。

 

 検分を済ませ、着座して合図を待つ二人。

 白番、先手を持つのが白坂小梅。少し厚めの瞼を閉じて、まるで安らかに眠っているかのようだ。

 対する黒番、後手は輿水幸子。持ち込んだペットボトルのラベルの向きを、几帳面に揃えていく。

 アービターを務めるのは、プレイヤーよりも緊張した面持ちの松永涼だ。この日の為に、とルールを覚えたばかりの彼女の補佐として和久井留美がすぐ後ろに控えているが、その心配の視線すら、涼には届いていないかのようだ。

 

 それぞれがドラマを抱えて、ここに集ったのだ。

 

 やがて定刻が告げられ、戦士は握手を交わす。

 

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 1. e4 e5 2. Nf3 Nc6 3. Nc3 Nf6 4. Nxe5 Nxe5 5. d4 Ng6

 

小梅 (幸子ちゃんは、Ng6……そっちなんだね。困ったなぁ……)

 

幸子 (ボクだって、準備をしてきたんです!)

 

 *

 

「今日の大盤解説は、私たちトライアド・プリムスがお送りするよ。よろしく」

 

加蓮「なんか、新鮮な感じだね」

 

奈緒「幸子も小梅も、ほとんど時間を使わないでここまで進んだな!」

 

加蓮「ハロウィン・ギャンビット、ね。幸子ちゃんが1. ... e5からオープン・ゲームに乗ったのは相手の用意に乗っかる王者の一手に見えて、実は小梅ちゃんが仕掛けて来るであろうハロウィン・ギャンビットへの対策を練ってきた、ってところなのかも」

 

5. ... Ng6と躱すのは、形勢的には5. ... Nc6よりも良さそうだけれど、実戦的にお互いに難しい順になる、って『イメ読み』でこの前みんながちょうど検討してた手だね」

奈緒「大きく駒損している白としては、このまま押し切られちゃたまんないもんな!小梅がどうするのか、注目っと……」

 

 *

 

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 6. e5 Qe7

 奏は、中継に付くコメントを眺めていた。

『黒がQe7とクイーンを上がった局面では、類例を第1ラウンドの白坂小梅市原仁奈戦に求めることができる。あれは白がd5を突いた後だったので、Qe7が成立しなかった。現状、白のdポーンはd4にいるのでこれは成立し得る』

 コメントを付けているのは、第9ラウンドの白坂ー神崎戦で観戦記を書いた文香だ。そして、奏と文香は、小梅をチェスの女神に引き合わせた張本人でもあった。

 

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 7. Qe2 Ng8 8. h4 h5

『白もクイーンを上がり、ピンを外したことで黒はナイトを逃がしておいた』

 

 一手一手につけるコメントは、ひとりで連詩をするようなものだ、とかつて文香は奏に語った。テーマはまるきりの他者性に依存する中で、言葉を捻り出しては紡ぎ、戦いの美しさを、戦士の勇姿を、記録に留め、伝える。

「私は、64マスのアオイドスなのかもしれません」

 そう語った彼女の、長い睫毛に覆われた縹色の瞳を奏は思い返す。

 

『h4は黒からQh4と出る手を予め潰してある。横利きの有る駒が第4ランクに出て来るのは急所だ。幸子は端を受けた。ふたりはもう、定跡なき荒野を手を取り合って歩んでいく

 

 チェスだって、文学と似たところがある。同名の高名なチェス・プレイヤーがいるが、私たちは、アンデルセンの青春小説に登場するような、遍く盤上の即興詩人なのかもしれない。

 

 *

 

加蓮「あの子、私と同じ匂いがする……相手の手を予め奪っておくような手の価値を知ってるんだと思う」

 

奈緒「幸子のh5か。確かに、エンディングで、端を一歩一歩伸ばせるだけで指し手の幅が広がるような局面って、結構あるもんな」

 

「でも、キャスリングより前に、端を突き合っちゃうと、ちょっと端攻めの脅威が出るよね」

 

加蓮「凛、良いこと言うね。だから、たぶん小梅ちゃんはh4と突いたアドと、手の流れを活かしていずれ黒マスビショップをBg5と出てクイーンを攻めるような構想を描いてるんだと思う。こうすれば、逆サイドにロング・キャスリングの目も出て来るし」

 

奈緒「なるほど、小梅は、本当に誰よりもハロウィン・ギャンビットの形を研究したんだな……こんなに深い戦型だとは、正直思ったこともなかったよ」

 

「こだわりって、愛だよね。好きだ、楽しい、って思えなかったら、こんなに深めたり出来ない」

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 9. Bg5

奈緒「加蓮先生、手が当たりますねぇ!」

 

「ね、加蓮先生」

 

加蓮「やめてよ」

 

 *

 

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 9. ... Qb4 

幸子 (このピンは、大きい手だと思います。斜めの利きがあるピースを、八方にダイアゴナルが展開できる好位置に飛び出したのは同じですが、マイナーピースこそ立ち遅れたものの、こちらはクイーンが使えてる。……しかし、ジリジリした展開ですね。小梅さんがこの一局に入れ込む熱意のようなもの、ボクにも伝わって来ますよ)

 

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 10. 0-0-0 

幸子 (ピンを外しながらキャスリングですか。まあ、当然の一着ですね。……しかし、迂闊な手を指すといきなり形勢を損ねてもおかしくありません。先人の足跡を辿りながら冒険するのもいいですが、新雪に足跡を残していくみたいで、こういうのも悪くないですネ。まずは第一感、10. ... N8e7から腰を入れて読んでみましょうか)

 

 *

 

「これ、10. ... N8e7はいいとして、ここで白ならどうします?」

 穂乃香の言葉に、少し考える。ちょうど自分もそれを考えていたところだが、意外と白の手が広いのだ。

「ねぇねぇ、奏ちゃん。11. Qf3は?」

 立って見ているフレデリカが手を挙げて発言する。

「d5に?」

「12. ed」

「あー……ここでじゃあ12. ... Bg4だと?」

「むむ……難しいねぇ!楽しいねぇ!」

 

 *

 

奈緒「黒もキャスリングを目指しながら、引かされたナイトを前に使う10. ... N8e7は自然な手で、たぶん外れないと思うんだけどさ……このあと白はどうするんだろ?」

 

「加蓮先生が今考えてるから」

 

加蓮「穏やかな手もあるにはあるんだけど、いきなり斬りつける筋もあるかなって。私なら、だけどね。ここで11. g4と突っ掛けてみる。11. ... hgに12. h5とナイトを苛めて」

 

奈緒「加蓮の好きそうな、ジャンクな流れだなー!」

 

加蓮「なによ、ジャンクな流れってw」

 

「12. h5に、逃げずに12. ... Nc6の返しは?次にセンターに使いながらクイーンを脅かす狙いだけど」

 

加蓮「それだよねー。こうなるといきなりエンディングでも可笑しくないかなって」

 

奈緒「おやつが出る前に終わっちゃうじゃんかー!」

 

「おやつの前に、そろそろお昼だよ」

 

 *

 

 

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 10. ... Be7

『昼食休憩後、再開の一手は10手目Be7と、ビショップを上がる手だった。これは次にN8e7~0-0を狙うと同時に、白坂のBg5と威張っているビショップを睨み据える手である』

 

「いきなりBxe7と交換することはないよネ。手損だし」

「そうですね。これは長期戦になるならがっぷり四つに組んで戦おうとする手ですが、こうなると白のやる気が出るような気もします」

「蘭子ちゃんはどう思う?」

「11. Qf3で、世界はアトラスの肩の上に支えられるわ!(小梅ちゃんなら11. Qf3と上がって、バランスを取りに来ると思います~)」

「「あー……」」

 二度、三度と小さく頷くのはマキノだ。

「もう、差はほとんどなくなったように思う」

「そうね。ナイトを早々にピースダウンしたにも係わらず、駒効率による主導権の握り方が完璧だったかもしれないわ」

 

 フレデリカは忍び笑いを洩らすと、大モニターに目を遣った。

 

 *

 

加蓮「11. Nd5 Qa5 12. Qb5 Qxb5 13. Nxc7+ Kf8っていう展開があるかなって。11. Nd5は今出て来たばかりのビショップに当てて居場所を尋ねながらクイーン取りにもなってる両取りの手ね、そして更にNxc7でルークとキングの両取りを狙う手なんだけどさ」

 

「だから、c7の地点に利きを足すQa5を黒に強いる、ってことだね」

 

加蓮「そうそう。そこですかさずクイーンをぶつける12. Qb5が面白くてさ。Qxb5 13. Nxc7+ Kf8に、ここで14. Nxb5とBxb5のどちらがよいかと悩むんだよね。仮に14. Bxb5なら14. ... Bxg5+ 15. hg Rb8という展開が予想できるかな」

 

奈緒「うーん、難しいな!見てて面白いけど、あたしはどっちも持ちたくない!」

 

 *

 

小梅 (ラッキー符号、ってわけじゃないけど……蘭子ちゃんのときもこんな手が出たなぁ)

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 11. Qf3

 

幸子 (てっきりNd5と跳ねて来るものだと思ってました。これは焦る……小梅さんは、直截的な狙いが無い手が多い印象ですね。やってこい、というか。結果的に、うまく相手の力も引き出して勝つような、そんなゲームが多い気がしました。……ということで、こちらから行きましょう)

 

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 11. ... Bxg5+ 12. hg N8e7

 

 *

 

加蓮「a3と突いてみたい」

 

 *

 

「Bb5からやってみたい」とマキノが言った。

 

 *

 

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 13. Nb5 Qa5

『13手目Nb5は黒の手をQa5の1手に縛った。放置するとNxc7+のダブルアタックでゲームが終了する』

 

 いつもは率先して検討の輪をつくる奏だったが、なぜだか今日だけは、まったくの傍観者でいたいと、そう思った。

 

 *

 

奈緒「今度はさっきと違って、N8e7がd5の地点に利いてるから、Nd5と跳ねると単にエクスチェンジで終わる、ってわけでこっちに跳ねたんだな」

 

加蓮「ここでBc4は堅実な一着だけど、もっと派手な、そう、ハロウィンのパレードのように派手なものが観られるかも。かなり時間も使ってるし、そっちに飛び込むんじゃないかなって」

 

「パレード?」

 

 *

 

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 14. b4 Qxa2 15. Nxc7+ 

「ひゃー!」

 フレデリカの声が響く。

 それもそのはず、クイーンサイド・キャスリングの白はaファイルというキングの脇腹にクイーンを誘い込んでから、ダブルアタックを返し技として掛けに行ったのだ。

 

 首筋に白刃を当てられて、笑える小梅の大胆さに奏は人知れず肌を粟立てた。

 

 *

 

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 15. ... Kd8 

奈緒「これ、逃げ場はKf8じゃダメだったのか?」

 

加蓮「代えてKf8だと16. Qc3というQc5を狙いながらcファイルに展開する手が幸便だった、ってことでしょ」

 

 *

 

幸子 (お互い、かなり危ない形になりましたが……ナイトは八方桂、角にあっては働いていないも同然です!ここは手番を活かして攻めたてましょう。攻めながら、攻め繋ぎ方を考えて……)

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 16. Nxa8 Qa1+ 17. Kd2 Qxd4+

小梅 (幸子ちゃん……ナイトの密室には、ひ、秘密があるんだよ……ラビリンスへ、よ う こ そ)

 

幸子 (しまった……?!まさか、これは……?)

 

 幸子は、視界が融けてふたりきり、濃厚な息遣いの中で真っ暗な世界に叩き落されたのを感じた。

 

 *

 

『Kd2、盤上この一手にも少考で時間を使ったのは白坂らしい。輿水は王手ラッシュで迫っていく』

 

「黒の鬼気迫る猛攻ね」、とマキノは呟く。

 Ke1やBe3にはQxb4+、Kc1にはQa1+で攻め手には事欠かないという。

「Qd3を検討してみたいかな」

 あずきの発言で皆が一斉に読みに入った。ほどなくして、検討人の結論は、「Qxe5なら落ち着くものの、Qxf2+もあるし、Qxb4+ 19. Qc3 Qxe3+が自信なし」、というものだった。雲行きが怪しい。白の誘い手に乗って、同形三復の無限回廊に黒が嵌り込んだようだ、と蘭子がため息交じりに言った。

 

 *

 

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 18. Kc1 Qa1+

「これは、千日手かな」

 

加蓮「普通は、不利な黒から仕掛けるものだけど……これはハロウィン・ギャンビットだからね。白が狙ってもおかしくない」

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 19. Kd2 Qxe5

奈緒「小梅の手がだいぶ早いな……。ここで20. Bd3とかQc3は、さすがにQxg5+ 21. Qe3 Qxe3+ 22. fe b6と進んで黒が良い、よな?」

 

加蓮「私も、そう思うよ。たぶん、白から打開して良い順はない。だけど、黒も打開すれば血を流す。だから、落ち着くべきところに、二人は落ち着くんだと思う」

 

 *

 

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 20. Qg3 Qd4+ 21. Kc1 Qa1+ 22. Kd2 Qd4+ 23. Kc1 Qa1+ 24. Kd2 Qd4+ 1/2-1/2

 

 ドローが成立した。

 二人は、涼の合図で握手を交わし、簡単に感想戦をしてから、大盤解説会場へと向かう。インタビューと、発表があるからだ。

 

 ふたりの小さき戦士を出迎えた万雷の拍手は、『先後入れ替え』で後日再戦が行われる、という発表に沸き立った。実力伯仲の名勝負を、一度でも多くその目に焼きつけられるとは、ハロウィンの不思議なまやかしのようである。

 

 

 進行役としてマイクを握る川島瑞樹が、一人ずつ、インタビューをしていく。

 

「今日の戦いを振り返っての感想は、どう?」

 

幸子「正直、悔しいですね。序盤に相当無理をするハロウィン・ギャンビットに対して勝ち切れないのは、ボクがまだまだ未熟なせいですから……でも、楽しかったです。楽しめたから、カワイイってことでいいんです」

 

「カワイかった、とは?」

 

幸子「はい。一緒に楽しめるならカワイイけれど、その心を忘れてしまったらカワイくない。自分が勝って優越感に浸りたいだけなら、別のゲームでいいんです。それこそ、コンピュータ相手に他のゲームをすればいい。人とやるゲームなのだから、一緒に楽しめることが一番大事で、それが一番カワイイ、んだと思います」

 

「なるほど。では、ファンのみなさんに、次の試合に向けての抱負をどうぞ」

 

幸子「次のゲームも楽しみにしててくださいね!フフーン、ボクはいつでもカワイイんですから!」

 

「では次、小梅ちゃんにお話を伺いたいと……あれ、どうしたの?!」

 

幸子「小梅さん?!」

 

 マイクを手に瑞樹が壇の上で位置取りを替えているそのとき、小梅は走り出した。

 

 

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 言い様の無い焦りは、交感神経を走って彼女の足を駆り立てた。

 

 確かな別離の予感に身を浸しながら、疾駆の後の喘ぎに肩を揺らす。額を流れ落ちていく汗を拭うももどかしく、小梅は自室に飛び込んで、黒革の大きなカバンを取り出した。

 ぽっかりと、欠落の自覚に目を閉ざしながら、彼女は手早く、ともすれば乱雑に、チェスセットを並べていく。

 そして震える膝で立ったまま、小梅は最初の一手を進めた。

 

 夕方を少し回って終わった試合から、どれだけの時間が経っただろうか。

 年季の入り、金属製のピースには錆すら浮いた古いチェスセットの前で、棒立ちになる小梅は、部屋に一人きりでいた。

 待てども待てども、動くことのないピース。

 月の光すら、理不尽な気がした。

 

 

 青白い陶磁のような肌を、愛しさが伝っていった。

 

 

 流れる温もりこそそのままに、喪失感と、そう反する安堵感のようなものが瞼に押し寄せるのを小梅は感じていた。数多ある思索の海から、唯一と呼べる正解の手を選び取ったような充足感が、疲弊しきった彼女の躰を優しく癒す。

 

 ハロウィン・パーティの用意が出来た、と告げに来た星輝子に手を引かれ、今夜の主役は部屋を出ていく。

 

 

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 外吹く風は、もう冬のそれだ。

 窓からは、激戦を共に戦った幸子と笑い交わし、スノーフェアリーズのアナスタシアに羨望の目すら向けながら労わられ、Rosenburg Alptraumの蘭子から賞賛を受け、師とも呼ぶべきフレデリカと、奏と、そして文香に肩を抱かれ、――涼のもとへと歩いていく小梅の姿が見える。

 

 賑やかな夜は、続いていく――

 

 誰かが顔を綻ばせたような、懐かしい心地がして、白坂小梅はハロウィンの三日月と星を窓越しに見上げた。

 

(了)