愛とは、全人生をかけてアイドルにチェスを教えること。

フリルドスクエアと行く、奥深いチェスの旅。

鷺沢文香の[Koume Shirasaka v.s. Ranko Kanzaki, 2017, U-14 Halloween CHESS Tournament, Rd9]観戦記 (鷺沢文香の名局漫ろ歩き その2)

 

 連日の雨は鳴りを潜めたが、秋雨は1日降れば1度下がるとされたものである。おどろおどろしさを伴うように、外は冷え込み始めていた。それもそのはず、ハロウィンはもともとケルト人の暦で秋の終わりの日であったのだから。

f:id:rikkaranko:20171022022903p:plain

 少し前までは曼珠沙華があちらこちらで咲いていた街を歩けば、いつしか銀杏とペトリコールの匂いが立ち込める季節になっていた。肩から羽織ったストールの前を掻き合わせ、私は事務所へと急ぐ。アイドル群雄割拠のこの時代、いつだって事務所は戦地なのだが――今日は少しだけ、その意味合いが違う。

 

 気に入りの懐中時計に一瞥をくれると短針は8を指したばかりだ。対局は10時開始ということで、かなり早く来てしまったと思ったのだが、私が部屋に入室すると意外にも先客がいた。

「あ、文香ちゃん。おっはーンジェット♪」

 対局場になっているラウンジからの実況中継が観られるというモニターの調子を確認しながら、振り返った肩越しに気さくに声を掛けて来たのは宮本フレデリカだった。彼女は気を抜いて生きているように見えて、ときどき案外に思えるほどに濃やかな配慮を見せるのだ。

 二言三言、言葉を交わした後、私はソファに腰掛け、とあるゲームを振り返った。観戦記者として、細やかな予習とでも言おうか。エンターテイメント性に富んだ、劇的なゲーム。これを指していた『彼女』の楽しそうな様子が眼裏に鮮やかに甦る。そして、恐らくだが、『彼女』は先手番が決まっている今日も同じ作戦を投入するのではないか。そんな予感がした。

 

 ふと顔を上げれば、続々とアイドルが到着していた。モニターには両対局者とアービターを務める東郷あいが検分を済ませ、刻々と試合開始の時間を待っていた。

 程なくして時間となり、神崎蘭子白坂小梅がお互いの手を握り合う。

f:id:rikkaranko:20171022184132p:plain

(Figure.1 : 1. e4 e5 2. Nf3 Nc6 3. Nc3 Nf6 4. Nxe5!? まで)

 やはりというべきか、驚くべきか……実戦は、白坂がこのところ連続で投入しているハロウィン・ギャンビットとなった。これはフォーナイツ・ゲームから派生し、見ての通り、序盤でいきなりナイトを棄てるのが目を瞠るオープニングだ。棄てるといっても、ナイトというそれなりに価値のあるピースをダウンさせることで、相手のナイトを攻撃の対象としながらセンターをコントロールするという狙いがある。将棋の戦法に「鬼も倒せる」という口上の奇襲戦法『鬼殺し』という、桂馬の捌きで一気呵成に敵陣に攻め込む戦法があるが、概念は似ているかもしれない。

 なぜハロウィン・ギャンビットなのか。諸説あるようだが、この白の4手目Nxe5がわが目を疑う『トリック』のようだから、というのが個人的には最も得心の行く説明である。

 持ち時間は各2時間、切れれば秒読み60秒。時間は沢山ある様に思えるが、意外とない。ここで黒番の神崎は時間を使う。

f:id:rikkaranko:20171022184520p:plain

(Fig.2 : 4. ... Nxe5 5. d4 Nc6 6. d5 Bb4 7. dc bc まで)

 白坂は初戦から勝ち上がって来ているのだが、今まで8局を先後4局ずつ持っている。そして、第1ラウンドで市原仁奈に対して披露したのが、やはりハロウィン・ギャンビットだった。棋譜こちらにある。

 その鮮やかな勝ち筋から、後に白坂と当たる者はこのオープニングの対策を多かれ少なかれ練ることが求められたはずだが、神崎の作戦は如何。我々は息を止めるようにして着手を待っていた。

  数手進めて、神崎の作戦が明らかになった。トランスポーズでスコッチ・ゲームの派生局面に持ち込むという、極めて実戦的な作戦といえよう。実戦的というのは、ハロウィン・ギャンビットという特殊なオープニングのためだけに対処を考えるのではなく、広く応用の利く用意をした、という程度の意味だ。

 しかし、ナイト損で立ち上がった白としてはこうまでしてくれるなら、腕の見せ所があるというものである。

f:id:rikkaranko:20171022184816p:plain

(Fig.3 : 8. Bd3 0-0 9. 0-0 d5 まで)

 お互いに入城を済ませ、黒からテンポよくピースをぶつけていく。白は序盤早々にナイトを盤から下ろしている。ポイントを小賢しく稼いで積み重ねて行こうとするのは正しい選択だ。取れないポーンをぶつけることは、そのまま拠点の作成に、ひいては盤面の中央制圧に大きなアドバンテージを握ることに繋がるからである。こういう空気では大人しく最善を積み重ねても徐々に突き放されてしまうことが多いので、白番としてはなんとか返し技を捻り出したい。我々の懸念と呼応するように、白坂はちらちらとクロックを見ながら時間を使っている。

f:id:rikkaranko:20171022185105p:plain

(Fig.4 : 10. Bg5 h6 まで)

 技、というほどのものでもないかもしれないが、手筋が入った。マイナーピースを貫通するピン。この手を見てすかさず神崎は端のファイルに手を掛けた。

 神崎はどうやら、ぶつかっているピースは積極的に清算していく方針のようである。そうすれば確かに、その局面で読まねばならない変化の幅は狭めることが可能だ。しかしながら、その交換を入れてしまうことで、入れない状態では存在しなかった分岐が存在する様になった可能性もあるのが、チェスの難しさであり、また魅力なのだと思う。

f:id:rikkaranko:20171022185527p:plain

(Fig.5 : 11. Bxf6 Qxf6 12. ed Bxc3 13. bc cd まで)

 f6の地点で白からビショップを切る。次いで神崎は間髪を入れずに自分もぶつけているビショップをc3の地点で清算した。盤上この一手、という局面では神崎は思い切りよくノータイムで着手していく。対する白坂は同様の局面でも、予めその後の展開を読み込むように時間を少しずつ使っている。

 開始からほぼ1時間が経過し、黒はダブルポーンを解消しに行った。しかしながらこの順は白坂に付け入る隙を与えるも同然であった。

f:id:rikkaranko:20171022185906p:plain

(Fig.6 : 14. c4 まで)

 油断ならない狡猾な手、忍び寄る罠のような。暗闇から冷たく白い手が、首筋に伸ばされたようなハッとする手だ。――神崎としては、次に来る15.cdを指を咥えてみている訳にはいかない。かといって取らないとなると、来たる15. cdに備えて14. ... Bb7/Be6の二択が迫られる訳だが、15. cd Bxd5の瞬間に16. Bh7+!と派手にビショップを切る手が白の楽しみだ。以下は16. ... Kxh7に17. Qxd5と走れば、ビショップを刺し違えた格好ながらクイーンを中央に使って白の言い分を聞いたことになる。

 ならば神崎としてはこれを取るしかないのだが……14. ... dc 15. Bxc4の交換が入るなら、白としてはダブルポーンを消しながらクイーンのファイルが空いて、とても気持ちが良いのだ。どこで身に着けたか、恐るべしテクニックが飛び出したものである。

f:id:rikkaranko:20171022190206p:plain

(Fig.7 : 14. ... dc 15. Bxc4 Ba6 まで)

 ここで神崎はビショップを端に活用。僧正の視線の先を見れば、そこには敵の僧正が。ピースを早くからショウダウンさせ、純粋に読みの深度で相手に打ち勝とうとする、それが神崎の棋風のようだ。今はエクスチェンジ前後の形勢の見積もりなどにやや粗が目立つが、経験と技術がついて来るのが楽しみだ。モーフィのように華々しい斬り合いを持ち味とする、さしずめバーサーカーの素質を秘めているかもしれない。

f:id:rikkaranko:20171022195840p:plain

(Fig.8 : 16. Bxa6 Qxa6 17. Re1 Rfd8 まで) 

 間もなく昼食の休憩に差し掛かるだろう、それまでに形勢が大きく動くこともないはずだ。そんな甘えた安心感に罅を入れたのは、小さな黒の、ラウンジでの事件だった。

 神崎が白魚のようなその指でfファイルのルークを動かした時、控室の空気が一瞬淀んだ。終点が一緒だからといって、目的の電車を乗り間違えるのとはわけが違うのだ。トーナメントの出場制限を掛けたことで、年齢層が上のアイドルたちはラウンジにお菓子を持ち寄りながら年少組のチェスを検討したり、或いは自分たちの対局をしたりと時間を使っていた。速水と北条が盤を挟んで向かい合い、周りを宮本や綾瀬、喜多見といった面々が囲んで部屋はとても華やいだ様相を呈していた。

 モニターを覗きながら手を検討していた宮本が上げた素っ頓狂な声を皮切りに、私たちはそこにいるべきでないルークを見つめていた。本命は、Rad8。何とも形容しがたい空気のまま、対局は中断され、我々も三々五々昼食を取りに出かけたのだが、もやもやとした懸念ということすら覚束ない違和感が私の胸に蟠った。

f:id:rikkaranko:20171022200135p:plain

(Fig.9 : 18. Qf3! まで) 

 再開後に直ぐ指された白の手を見て、鋭手ね、と速水が言った。大盤解説会場から交替して戻ってきた塩見と新田が流れを追いながらサンドイッチを摘まんでいた。喜多見が白い喉を鳴らした。

 これがトップクラスのアイドル同士の対戦であれば、命取りになったかもしれない手。しかし、この緩いとすら言い切れない僅かな隙を捉えることはなかなかに難しく、的確に突けなければドロー濃厚、依然として黒の有利でゲームは推移していくものと思っていた。想えば我々の予想がモニター越しの盤面に顕現した瞬間に、流れが変わったのかもしれない。

 遠くで鶸が鳴いていた。

f:id:rikkaranko:20171022200228p:plain

(Fig.10 : 18. ... Rab8 まで)

 黒の堤に、変調、というにはあまりに小さな蟻の穴が開いたのだ。こじ開けたのは貫かれた白坂のチェス。白がQf3とダイアゴナルを当てて来たから避けたいのは人情、しかしここは怺え時だったかもしれない。なぜなら、本当の目的はーー

f:id:rikkaranko:20171022200507p:plain

(Fig.11 : 19. Qc3! Qb6 まで) 

 この白19手目こそ狙いの手だった。序盤に大きく無理をしたはずの白が、確実に追い上げて来ている。その跫は、あの瞬間、この世で最も白坂小梅の近くに居た神崎蘭子の耳にこそ、無視できない音として響いていたはずだ。

 我々は見くびった。

 ここで指す手が難しい、と話し合ったのだ。白が確実にアリアドネの糸を手繰り寄せていることも知らずに。

 いや、決して彼女たちを年齢を理由に見下していた訳では無いのである。しかし、経験にモノを言わせた私たちの、安全地帯からの検討でも確かにこの局面は難しかった。

 一感、Re7?しかし……?

 控室で検討しているトップ陣も、g3/h3のどちらが良いか、測り兼ねていた。そして彼女たちが当たり前のように語るその駒に手が伸びるのは、彼女たちが長い時をチェスセットと過ごしてきた証だったから。藹々とした空気はどこへやら、まるで自分の勝ち星が掛かっているかのように検討し合うアイドルを尻目に、私はペンを止めて祈る様に、モニターを見つめた。ここで勝ち切れれば、トーナメントという以上に大きな、そう、彼女のチェス人生にとってなにか非常に大きなものが彼女の掌に転がり込むに違いない、そんな思いが筆を鈍らせていたのだ。

f:id:rikkaranko:20171022200559p:plain

(Fig.12 : 20. g3! まで)

 痛いほどの静寂張り詰める会場に、小さな木の音が響いた。

 局面が難しくなればなるほど、それを考えること自体が楽しい。白坂の指し手はそんなメッセージを載せているかのように、我々の下に届いた。目に見えない翼が生えたように、gポーンは軽やかに、盤の上を滑った。

f:id:rikkaranko:20171022200724p:plain

(Fig.13 : 20. ... Qb2 21. Qxc7 a6 まで)

 小さく首を振って、黒が突いたのはaポーン。だがその消極性は却って賢明ともいえる局面だった。寧ろ、それ以外に手が無いのだ。北条だったらどうにかして、aファイルの僅かな可動性すら奪って勝ち切っていたかもしれない。私だったら、こういった局面で相手に読まねばならない筋を大量にぶつける。

 しかし、あの瞬間は、一貫していないようにも見える、その荒削りな勝負がとにかく――胸が詰まるほどに――愛おしかった。

f:id:rikkaranko:20171022201049p:plain

(Fig.14 : 22. Rad1? まで)

 ここはゲームとしてはやや緩かった。Rab1とぶつけて明確に良かったように思ったのだが。

 季節外れのアイスが融けるのも構わず、食い入るように画面を見つめる宮本の顰められた眉が、私の内心を代弁しているようだった。彼女の洗練されきっていないラフなエンドゲームは、即ち彼女の伸びしろを見せつけられるようで嫉妬すら、湧いたのだ。

f:id:rikkaranko:20171022201249p:plain

(Fig.15 : 22. ... Rdc8 23. Qf4 Qxa2? まで)

 私たちなら此処で問答無用にcポーンを抜いたと、鈍った筆で敢えて書き残すのだ。U-14とはいえ、彼女たちは立派なチェス・プレイヤーとして、私たちと対等だと思うからである。駒割りは互角、しかし明確に、先手が良くなっている。

 思考の海に突き落とされ、喘ぐように息を継ぐ我々はとても孤独な存在だと、いつも思う。だからこそ、勝ち星ひとつを巡って命の遣り取りをしているにも拘らず、盤を挟んで1メートル向こうに居る相手がたまらなく愛おしく思う境地も、チェスをプレイしているとあるのだ。私たちは、抱き合わせの自由と孤独を持ち寄って、モノクロームの絵を描き、白い紙に黒い音符を並べていくのが好きだ。

 だからこそ、チェスボードの前に一人置き去りにされているのに、まるで隣にいる、この世で最も大切な人に寄り添っているかのように楽しげに振る舞う白坂小梅に、ひどく異なるい想いを抱いた。血が滲むくらいに歯を食い縛り勝ちを拾おうとするスタンスばかりに重きを置きがちになっていた、自分のチェスを振り返る――。

f:id:rikkaranko:20171022202114p:plain

(Fig.16 : 24. Rd7 Rb1 25. Rxb1 まで)

 思いきりの良いピースダウン。そして、ここで20手目に彼女が自分の力で切り拓いた道が光って見える。続く25. ... Qxb1+ 26. Kg2は必然の流れだが、これで白のキングは容易に追われない形になった。悩んで、考えあぐね、自分の力で絞り出した手が、細い糸を張り巡らせるかのように精細な模様を織りなして行く。彼女が助けたピースたちが、彼女を助けに来たようだ。ハロウィン、の名が冠されたトーナメント企画だからだろうか。『墓場』と形容されることもある、ボードから降りたピースたちがボードの横に整然と並ぶ様子。そのピースの一人ひとりが私には確かに、満身で遊びを愉しんでいるようにも見えた。

f:id:rikkaranko:20171022202157p:plain

(Fig.17 : 25. ... Qxb1+ 26. Kg2 Qa2 まで) 

 27. Qxf7と潜る手を防ぐ辛抱。しかしこれには初期位置から動いていないことで2マスの推進力を未だ保持しているcポーンの躍進が、ダイアゴナルを切ながらの進軍となって幸便だ。27. c4 Rf8と進んで、明らかに黒が厳しい。神崎の顔色は冴えず、心なしか巻き毛の調子も良くないようにすら見える。艶やかな形良い唇が歪められ、そこから吐き出される歎息が、ラウンジに居る私にも聴こえるようだった。

f:id:rikkaranko:20171022202303p:plain

(Fig.18 : 27. c4 Rf8 28. Qe4 まで)

 後の先を取ろうとする、穏やかで峻烈な手渡し。こういった采配をするアイドルは、この事務所にいなかった。実戦の中で成長して行く少女たちが、自分の色を模索し、手ごたえを感じ始めているのだと思うと鼻の頭まで肌が粟立つ思いがした。戦場は平時より、人の心を速く通わせるのかもしれない。一局を通じて様々な表情を見せる白坂小梅のアイドルを確かに感じた。

 時刻は15時を回った。私たちは十時と三村が事務所で焼いたばかりの、ネコを模ったカボチャのタルトを食べながら手に汗を握っていた。おやつは対局者にも出されたようである。両者はほぼ同じタイミングで、持ち時間を使い切ったようである。ここからは秒に追われるという点で呉越同舟だ。

f:id:rikkaranko:20171022202424p:plain

(Fig.19 : 28. ... a5 29. Ra7 a4 30. c5 a3 まで)

 セオリー通りの、パスポーンの裏に回るルークが、終りの予感を奏でている。ここで白の指し手は意外と広いが、彼女の指が迷うことはないだろう。長い袖から、ピースを触るその瞬間だけ少し指を覗かせる、そんな仕草が楽しげで実に羨ましい。

f:id:rikkaranko:20171022202734p:plain

(Fig.20 : 31. c6 まで)

 まっしぐらに、敵地を目指すこのポーンは、最後まで自陣で出番を今か今かと待ち侘びていたポーンだ。勝ちに行く決意をしたのだろう。

f:id:rikkaranko:20171022202858p:plain

(Fig.21 : 31. ... Rc8 32. c7 Qe6 33. Qb7 a2 34. Rxa2 まで)

 手の込んだルーク・エクスチェンジを用意した。ピースダウンすれば白はアドで押し切ろうということだろう。黒は何とかドローに持ち込む希望に縋りたい。ドローがあるから、最後まで気を抜けないのは福音か、それとも呪いだろうか。

 それは、全ての希望が潰える時まで戦い抜かねばならないという悲し過ぎる宿命の換言ではないのだろうか。

f:id:rikkaranko:20171022203016p:plain

(Fig.22 : 34. ... Rxc7 35.  Ra8+ Kh7 36. Qxc7 Qe4+ 37. f3 Qxa8 まで)

 ルーク・エクスチェンジが確定する順に飛び込んでから実に5手後のダウンとなった。ここ10ムーブの間は、ルークを取り合う以上にやらなければいけないことがお互いあったということだろう。

 寂しいわね、と誰かが呟いた。金属製の姫フォークがティーカップと当たって、小さく澄んだ音を響かせた。

f:id:rikkaranko:20171022203224p:plain

(Fig.23 : 38. Qxf7 Qc6 39. g4 Qc2+ 40. Kg3 Qg6 41. Qxg6+ Kxg6 まで)

 なんとも寂しい話ではないか。控室では、エンドゲームに定評のある八神と新田がメイトを読み切ったと言いながら検討を打ち切った。

f:id:rikkaranko:20171022203251p:plain

(Fig.24 : 42. h4 Kf7 43. h5 Ke6 44. Kf4 Kf6 45. Ke4 Ke6 46. f4 Kf6 47. Kd5 まで)

 dファイルに吶喊するのが、相手のキングを僅かなピースで縛る為の、必然手であり、気がかりの手であった。もう継ぎ盤は動いていない。

f:id:rikkaranko:20171022203419p:plain

(Fig.25 : 47. ... Kf7 48. Ke5 Ke7 49. f5 Kf7 50. f6 まで)

 お手本通りの突き捨て。実戦で求められるのは、精緻で高い水準の基本と、少しの大胆さなのかもしれない。

f:id:rikkaranko:20171022203557p:plain

(Fig.26 : 50. ... gf+ 51. Kf5 Ke7 52. Kg6 Ke8 53. Kxf6 Kd7 54. Kg7 Ke6 55. Kxh6 1-0)

 四面楚歌と相成ったところで神崎がキングを倒し、投了の意思表示をした。長い戦いだった。

 シビアな勝敗に囚われない面白い構想、ハッとする鋭い仕掛け、荒削りな形成評価に舌を巻くような大局観。ジャック・オ・ランタンを模ったバケツにお菓子が溢れる程に詰合せられているアソートメントがあるが、まさしくそんな印象の名局だったと思う。

 立ち上がり無言の裡に拍手をした後、一言も発さないままに検討に使っていたチェスセットを初期配置にし、向き合う相手と対局を始めたのは、私だけではなかったはずだ。

 

(続く)