愛とは、全人生をかけてアイドルにチェスを教えること。

フリルドスクエアと行く、奥深いチェスの旅。

May the Magic of Halloween be with you. -2-

 

 

 チェスが内包するイメージ。

 まず、盤が偶数のマスからできている、というのがいい。これが、仮に一つのマスが正方形で、一辺が奇数だったとすると、チェスはインテリアとしてもっと色んな場で目にするものになっただろうから。

 右の端が白マスになるように、マントルピースの上に置く。これだけの縛りで、それがインテリアなのか、そして主人はチェスを解する怜悧な知性の持ち主なのか。そういった示唆が生じる。

 そう、イギリス人が庭に薔薇を植えることをステータスとしたように。手のかかる植物の筆頭である薔薇が庭いっぱいに咲き誇るというのは、その家が優秀な庭師を抱えていること、ひいてはそれだけの余裕のある家だということを対外的に示すシーナリーの中の演出だったのだ。

 

 速水奏は考える。人並みに書物も読むが、それ以上に彼女の知識の源泉は映画と、映画を深く理解するための背景に依存する。そのため、ぴったりと閉じられた彼女の瞼の裏では、今までに彼女が観てきた幾数もの映画がコマ送りとなって巡っていた。

 

 単なるゲームを超えた何かだと、思う。ゲームを理解するためには、ルールに精通していること以上のものは不必要だ。

 しかし、そのゲームが広く受容されてきた理由を知るためには?

 

「私たちには、所詮借り物のチェスしか出来ないのかしら……」

 

 呟くと、奏はキングを倒し部屋を出て行った。

 

 

f:id:rikkaranko:20171026180650p:plain

 

 

 『U-14 Halloween Championship』も、残すところ後2ラウンドとなった。そして、上位4名を巡る、全勝対決の2組のマッチは別日程で中継されることとなっている。

 昨日、輿水幸子が、黒番・遊佐こずえのブタペスト・ディフェンスをギリギリのところで破った試合はサイトの来場者数が100万人を超えたという。

 

 今日は、白坂小梅v.s.神崎蘭子。こちらも全勝対決だ。

 居ても立ってもいられなくなって、フレデリカは時間を潰すのももどかしく事務所に向けて出かけることにした。

 

 動画サイトでの中継と同じものが、事務所のラウンジにある大きなモニターでも見られることになっている。仕事が入っていないアイドルや待機しているアイドルは、ここでチェスを見ながら時間を過ごすのが、ハロウィン・イベントが始まってからの恒例のようになっていた。

 

「フフンフンフーン♪」

 

 鼻唄を歌いながらブラインドを開け、続いて2横指ほどの隙間に窓を開いて喚起をする。そしてフレデリカは散らかったテーブルを片づけ、モニターの調整をした。

 

 背後で、ドアの開く音がする。どうやら、他にも据わりが悪くて家を飛び出してきてしまった、気の早い同僚がいるらしい。

 フレデリカは柔らかく口角を上げて微笑んだ。

 

 

f:id:rikkaranko:20171026180650p:plain

 

「えへへ、今日ね……あいさんに研究会に誘われたんだ……」

 

 小梅は嬉しそうに、ナイトを跳ねながら呟いた。

 ここは女子寮、小梅の自室である。その様子を誰か他のアイドルが観たら、訝しんだことだろう。彼女の向かいは愚か、周りにも誰もいないからである。

 しかし、サイキック・パワーか何かで動かされているように、音も無く進んでくるビショップはまるでそこに誰かがいるかのようだった。

 

「『ずいぶん立派にプレイできるじゃないか』……って。えへへ。『誰かについて習ってるのかい?』なんて聞かれたなぁ……」

 

 小梅のビショップが、浮遊してきたナイトに弾かれるように倒れる。ピースがぶつかる時に、軽やかな澄んだ金属音がした。

 

「このチェス・セットも外に持って行けたらいいんだけどなぁ……ご、ごめんね?私には、ちょっと、大きいんだ……」

 

 右側に置かれた、取った黒のピースを手に取り撫でる小梅。視線の先には、大きな黒革の入れ物がある。

 

「そっか。ごめんね。研究会の日は『この子』にお家に居て貰うからね……いいよね?」

 

 そのとき、ノックの音がする。

 

「フヒ、小梅ちゃん……ごはん、行かないか?」

 

「あ、ありがとう……い、今行くね」

 

「フ、フヒ……さき行って待ってる……」

 

パタン

 

「『この子』ね、最近私と一緒にチェスをやってたら、強くなってきたんだよ♪」

 

 

f:id:rikkaranko:20171026180650p:plain

 

 

「なぁ、小梅の調子はどうだ……?」

 

「貴女、やっぱりお母さんでしょ。小梅ちゃんの」

 

 ロッカーで着替えながら、並んで涼と奏が話をしている。

 

「調子、というなら、チェスの出来は上々だと思うわよ?」

 

「そっかぁ」

 

 ブラウスのボタンを留めながら涼は思案顔をする。

 

「なんていうか、さ。メンタル的なのは、どうだ?最初は、クラブで勝てなかったから落ち込んだのかとも思ったんだ。だけど、よく考えたら、なんか違うんじゃないかって。よくわからなかったんだけどさ……それが、チェスが出来なきゃわかんない悩みだったら、アタシには相談に乗ってやれないし……」

 

 座ってローファーの踵に人差し指を入れながら、奏は可笑しそうに笑った。

 

「いいわね。私も、年が離れているのに対等に親友でいられる友達、欲しかったなぁ」

 

「あのー」

 

 二人の視線を集めたのは、部屋の対辺に置かれた側のロッカーで着替えをしていた喜多見柚だ。

 

「涼サンは、チェスは興味ないんですか?」

 

 苦笑いを口元に浮かべる涼。

 

「実は、さ。小梅が余りにのめりこむボドゲって、どれほど楽しいんだろうって思って、やってみようと思ったんだ。本も買ったんだけどさ……」

 

「続かなかったのね?」

 

「続かなかったっていうかさ、いまいちわからなかったんだよ。ルールも難しいし、なかなか覚えられなくてさ……」

 

 左手の人差し指で、顎を押し上げるようにしながら右上を見ていた柚は言う。

 

「誰かに教わるのは?」

 

「それは、なんか恥ずかしいって言うか……いや、でもそれで小梅ともっと話せるようになるならそんなちゃちなプライドに拘ってる場合じゃないか……!」

 

 何かを決めたような顔の涼に、ぺろりと舌を出して悪戯っぽく笑いかける柚。

 

「よかったら、アタシたち、フリスクがお教えします!それで、ルールを覚えて、小梅チャンにナイショで――」ゴニョゴニョ

 

「おおっ、それはサプライズでいいかも――」ゴニョゴニョ

 

 

f:id:rikkaranko:20171026180650p:plain

 

 アービターの合図で握手を交わした後、黒番を持つ神崎蘭子チェスクロックを押し込む。

 小梅は迷わず、eポーンを突いた。

f:id:rikkaranko:20171028163015p:plain

 1. e4

 それを見て、唇を引き目を大きく開く蘭子。彼女たちの長い一日が、始まろうとしていた。

 

 *

 

f:id:rikkaranko:20171028163046p:plain

 1. ... e5

「堂々としてるわね」

 私はこのゲームの観戦記を書く文香に話し掛ける。彼女はノートから顔を上げ、顔を綻ばせた。

「そう、ですね。黒を持ってはcポーンを突くのが流行っている昨今にあって、先手の注文に乗る貫禄の一手です」

 デジタル全盛の今日にあって、彼女の手にあるのはノートに万年筆だ。その拘りの強さも、菫青の利発そうな瞳も愛おしく思った。

 

 モニターが切り替わり、私は解説を務めるLippsの同僚、周子がいきなりボケをかますのを見た。

 

 *

 

 

f:id:rikkaranko:20171028163116p:plain

 2. Nf3 Nc6

周子「ここでは3. Bb5と出てルイ・ロペス、3. Bc4と出てイタリアン・ゲーム、そして3. Nc3と出てスリー・ナイツ・ゲームが候補に挙がる分岐かな」

f:id:rikkaranko:20171028163149p:plain

 3. Nc3 Nf6

周子「黒も力を溜めたよ」

 

美波「これで、4つのナイトが中央で向かい合いましたね」

 

周子「うん、フォー・ナイツ・ゲームってやつだね~」

 

 *

 

蘭子(懸念するは、騎士の特攻――)

 

小梅(……ら、蘭子ちゃんは、楽しんでくれる……かな?)

f:id:rikkaranko:20171028163215p:plain

 4. Nxe5

 

 *

 

美波「これは、白番で小梅ちゃんが連採しているハロウィン・ギャンビットですね。今回の企画では全部ですか?」

 

周子「んー、確か、1回だけ、不運にも突くポーンを間違えたほたるちゃんが1. ... d4とセンター・カウンターを仕掛けた試合があったじゃん。あれ以外ホントに全部だね~」

 

 

蘭子(やはり、サバトの供物……!)

f:id:rikkaranko:20171028161108p:plain

 4. ... Nxe5 5. d4

 

小梅(蘭子ちゃんは、ナイトをそっちに引くんだね)

 

f:id:rikkaranko:20171028161159p:plain

 5. ... Nc6 6. d5

 

蘭子(いざ、鉄槌を!)

f:id:rikkaranko:20171028161304p:plain

 6. ... Bb4 

 

 

美波「うわぁ、なんだかすごい手が来ましたね。……初めて見ました」

 

周子「これはきっと、蘭子ちゃん用意の手だね」

 

美波「この後はどう進むかな?」

 

周子「うーんと、白は先にナイトを切ったわけだから、黒としてはナイトを取られても駒割りとしては互角なんだよね。それなら、ナイトを取らせる間に陣形で差を付けられれば、黒のアドバンテージだけが残る。ってことで、あたしなら~7. dc bc 8. Bd3 0-0 9. 0-0と進めてスコッチにするのかなぁ」

 

 *

 

蘭子(目には目を、ナイトには、ナイトを!我が真の力を見よ!)

f:id:rikkaranko:20171028163244p:plain

 7. dc bc

 

小梅(むむむ……?あっ、なるほど、スコッチ・ゲームだ……蘭子ちゃん、私のために、準備してくれたんだ……♪)

f:id:rikkaranko:20171028171818p:plain

 8. Bd3 0-0 9. 0-0 d5

 

 *

 

美波「周子ちゃんが解説してくれた通りになりましたね。流石♪」

 

周子「でしょ?もっとこういう仕事増えてもええんやけどな~」

 

美波「互いにキャスリングを済ませてから、蘭子ちゃんが9手目d5と突いたのが現局面で、ここで時間を使ってますね」

 

周子「とってくれれば黒としては最高だけど……取らないだろな~。最近、小梅ちゃん覚醒したっぽいし」

 

 *

 

蘭子(呪縛から目覚めし僧侶の跳躍……此処は激しく)

 

小梅(ら、蘭子ちゃんはそういう棋風なんだね……相手の性格とか、考えが同じとこ違うとことか知れるのって、楽しいな……♪)

f:id:rikkaranko:20171028172129p:plain

 10. Bg5 h6

 

 

周子「ほぉ~、もう切らせるんだ」

 

美波「切らせる、とは?」

 

周子「小梅ちゃんが10手目Bg5って八方に利く好位置にビショップを出たでしょ。良い位置だけど、すぐ何かあるわけではない、と見てここで黒はこれを無視して何か手を捻り出すこともできたはず。それをしないで、h6と突いたら、この手はビショップ取りになってるから、白は次に11. Bxf6って切るしかなくなるでしょ~」

 

美波「なるほど、そうだね。……でも、ナイトと交換しないで、ビショップを逃げる、っていうのは?」

 

周子「うーん、そら難しい質問やなぁ……解説殺しやん!」

 

美波「笑」

 

周子「ないってことはないんだけど、白は10手目にc1からg5まで一息に出て行ったでしょ?だから、11手目に例えばe4とかって引くと、そこはc1から本来1手で行けた場所だから、損になるんだよね~。だから、この局面が『わざわざ黒にh6を突かせる』のが狙いだったんじゃなかったら、引かないと思う。それに、さっきもいったけど、黒は必ずしもh6と突いてくるとは限らなかったでしょ?」

 

美波「そうだね」

 

周子「だから、不確定な順なのに、引くって言うのはちょっと考えられないかな~っていうのが周子ちゃんの見解です」

 

美波「なるほど。わかりやすくありがとう♪ところで、じゃあなんで蘭子ちゃんは『ビショップを切らせる』ような手を指させたのかな、周子先生?」

 

周子「そやなぁ~……ピースがぶつかった箇所が複数ある局面って、読まないけない局面が多くなるんよね。逆に言うと、ピースがぶつかったところを予めどんどん清算しておけば、追い追い読み幅を狭めることができるんよ」

 

美波「そっか、そういうことなんだ。じゃ、みんなそうやって清算すればいいんじゃないのかな?ごめんね、いろいろ聞いて」

 

周子「美波ちゃんは聞き手なんだからいろいろ聞いてや~。んーとね、これもちょっと感覚的な話になっちゃって難しいんやけど、清算しない状態だと存在しなかったような分岐が新しく生まれちゃう可能性があって。その分岐が詰みに係わるものだったりしたら結構シリアスな問題やろ?だから、一概に清算すればいいってものでもないんよね」

 

 *

 

蘭子(ダブル・ポーンの桎梏を解き放つわ!)

f:id:rikkaranko:20171028173607p:plain

 

 11. Bxf6 Qxf6 12. ed Bxc3

 

小梅(13. bcにはcdと取ってくる、はずだよね?)コト コン

 

蘭子(これでダブル・ポーンは解消……)コト コンッ

 

小梅(この瞬間、ちょっと息継ぎが出来るけど……何かあるかな?何か、びっくりしてもらえるような、楽しい手……)

 

蘭子(小梅ちゃん、考えてるなぁ。油断できない相手、用意してきた順に進んだけど……小梅ちゃんのために用意してきた戦型、小梅ちゃんは楽しんでくれてるかな?)

 

 張り詰めていて、どこか穏やかな時間が縷々として流れていく。

 そして、開始から1時間が経過した、とアービターを務める東郷あいが厳かに宣言したとき、小梅の手が緩慢な様子で動いた。

 

 

f:id:rikkaranko:20171028173938p:plain

 13. bc cd 14. c4

 

周子「渋いねぇ~」

 

美波「……解説をお願いしてもいいかな?」

 

周子「んーとね、これは取らないとどうなると思う?」

 

美波「取らないって……14. ... dc以外ってことだよね。んーと、15. cdがあるから、14. ... Bb7とフィアンケットに組んで守るくらいかな」

 

周子「うん、いいね。そしたら15. cd Bxd5となるよね。このために美波ちゃんはビショップを上がった」

 

美波「うん」

 

周子「ここで、16. Bh7+!とさっきこじ開けたh7のスペースにビショップを王手で飛び込む手があるんだよ~」

 

美波「えっ?これはタダでは?」

 

周子「タダじゃないよ~。16. Kxh7に17. Qxd5と刺し違える手が良いんだ」

 

美波「なるほど、そっか」

 

周子「こうなると、クイーンを進めながら、黒のキングも流れ弾に当たりやすい位置に引き摺り出せて、白が指しやすい感じする」

 

美波「そうだね。……じゃあ、この手は14. ... dcの一手?」

 

周子「あたしは、そう思うな」

 

美波「この時に15. Bxc4として、クイーンのファイルを開けた白が良い、ってことかな?」

 

周子「その通り!つまり、どう応じても黒はやや点数を持って行かれる局面かなって。それでも黒が良さそうだけど、差を縮めて、これは渋い手だよ~」

 

 

 *

 

蘭子(う、運命の盤面……!……難しいなぁ……ちょっと手拍子だったかも……?でも、14. ... dc 15. Bxc4の瞬間は手番がこっち!魂が、猛るわ!)

f:id:rikkaranko:20171028180024p:plain

 14. ... dc 15. Bxc4 Ba6

 

蘭子(小梅ちゃんの声が聴こえて来るみたい。耳を通して、じゃなくて、もっと深いところで通じ合えるような……)

 

小梅(聞いちゃった……?今日から、お友達ね)

 

蘭子(直接脳内に……?!)

 

 *

 

 

f:id:rikkaranko:20171028180507p:plain

 16. Bxa6 Qxa6 17. Re1 Rfd8 

 

「ほろっ?」

 椅子の背の上に顎を乗せるようにして、モニターを見つめていたフレデリカが素っ頓狂な声を上げた。

『……おや?これは……いや……?』

 切り替わったモニターの中でも、解説の周子が困惑した様子の声を出している。

 私は、加蓮と検討していたボードに目を戻す。

 そう、私たち検討陣がこの局面で本命視していたのは、17. ... Rad8。

「まぁ、でも、この緩さを的確に突けなかったら、ドロー濃厚、黒やや良しでエンディングになりそうだけど」

 加蓮はやや眉尻を下げて言う。私も全面的に同意だった。この手は緩手ではあるが、何が緩いとも言い切れないレベルのものだ。その針の穴にラクダを通すような攻めを想い付けなければ、大勢は変わらないだろう。

 少しの引っかかりを覚えながら、画面の中の対局室が休憩に入ったのを合図に、私たちも昼食を摂りに出かけることにした。

 

 *

 

 休憩後、再開の合図を告げる。

 目の前で繰り広げられるのは、U-14とは思えない程に高度な対局で、眩暈がする思いがした。

 袖を左手で摘まみ、右手をクイーンに掛ける白坂小梅

f:id:rikkaranko:20171028191037p:plain

 18. Qf3

 小部屋の中に充満する空気が、弓を引き絞るように、いきなり緊張感を増した。息苦しさ感じる、世界で一番近くでこの勝負が観られる役得に私は密やかに感謝した。

 

 *

 

f:id:rikkaranko:20171028192817p:plain

 18. ... Rab8 19. Qc3 Qb6

 

「Re7とg3どっちがいいかな?」

 

 フレデリカの問い掛けに、その場で幾つかの想定局面を思い描いてみる。

 

「まぁQb2に先攻するならRe7かしら……でもg3か、なるほど……それならh3はどうかしら?」

 

「g3かh3か……難しいなぁ……これ解説しなくて済んだのは助かったわ~」

 

 解説会場から戻ってきた周子がおどけて見せる。

 

 

 

「解説はなんて言ってるのかしら?」

 

 *

 

穂乃香「小梅ちゃん、長考してますね」

 

加蓮「そうね。候補は2手かしら。Re7か、h3か」

 

穂乃香「先に敵の懐に潜る手と、自分のキングの周りを広げながらエンディングで見合いに備える手ですね。……ここでh3に代えてg3はどうです?」

 

加蓮「g3?」

 

穂乃香「えぇ、フォー・ナイツ・ゲームで、1. e4 e5 2. Nf3 Nc6 3. Nc3 Nf6 4. g3……と、いきなりg3を突くラインがあるじゃないですか。なので、損にならない手かしら、と」

 

加蓮「……あるかも。寧ろ、h3よりいいかも知れないね」

 

 *

 

f:id:rikkaranko:20171028192858p:plain

 20. g3

 痛いほどの静寂張り詰める会場に、小さな木の音が響いた。

 

蘭子(わからない……どうしよう……斬り合いは……?いや、迷わない、信じる……!)

 

f:id:rikkaranko:20171028193003p:plain

 20. ... Qb2 21. Qxc7 a6

 

小梅(aポーンを逃がしてきた。ほとんど時間を使わなかったから……予定、なのかな?でも、蘭子ちゃんはそれしか手が無い時の着手は早いし……)

 

 *

 

f:id:rikkaranko:20171028193239p:plain

 22. Rad1 Rdc8 23. Qf4 Qxa2

 

幸子「……楽しそうですね。やっぱり、楽しむ姿が一番カワイイものなんですね」

 

 *

 

f:id:rikkaranko:20171028193438p:plain

 24. Rd7 Rb1 25. Rxb1 Qxb1+

 

加蓮「迷わず清算したね」

 

穂乃香「ここで、先ほど20手目のときに突いたポーンから逃げていくんですね。突いてなかったら窒息するところでした」

 

加蓮「ここでね、26. Kg2って逃げると、ポーン・チェインに囲まれる形になって、ビショップも落ちてるこのゲームでは白のキングは攻められにくくなるんだよね。実戦的な感覚だと思うよ」

 

穂乃香「黒は一度手を戻さないといけないですよね。Rd7とQf4がf7の地点に利いているので、27. Qxf7と入られるとゲームが終わってしまいます」

 

 *

 

f:id:rikkaranko:20171028193854p:plain

 26. Kg2 Qa2 27. c4 Rf8

 

 

 

 形勢が良い側は、自然な手を指してもよくなりがちだ。だから、良い手は連鎖する。

 私は27手目c4と、不動の位置に居たポーンがa2のクイーンのダイアゴナルを切った時に、そんなことを考えていた。

 

「Rf8は悔しいですね。どこかで、とても自然にひっくり返りました」

 

 忍は、黒がテンポを失ったことを言っているのだろう。見事に、Rfd8が責められた格好になったのだ。

 

「ここよね、難しくなるわ」

 

 *

 

小梅(黒が手損をしてくれたから、Qf4は手損だけど、手自体の損得はなくなる。それよりも、ここで何かやって、バランスを崩しちゃう方がダメ。こういうときは、待つんだって、教わったんだ……)

f:id:rikkaranko:20171028194246p:plain

 28. Qe4

 

蘭子(あぁ……!またよくわかんない手が……小梅ちゃん、貴女は何を語っているの?!我が友、我が友!)

 

 *

 

f:id:rikkaranko:20171028194717p:plain

 28. ... a5 29. Ra7 a4 30. c5 a3 31. c6 Rc8 32. c7 Qe6

 

 

穂乃香「形勢はひっくり返りましたけれど、優勢になった白も勝ち切るには難しいゲームですね」

 

加蓮「そうだね。それが、黒の一縷の希望になっているのかも。こうやって、クイーンをぶつけたりしながらピースダウンからのドローを狙っていくのが黒の支配戦略になるかも」

 

穂乃香「白としては神経を使う展開になりますね」

 

 *

 

f:id:rikkaranko:20171028195253p:plain

 33. Qb7 a2 34. Rxa2 Rxc7 35. Ra8+ Kh7 36. Qxc7

 

穂乃香「次に36. ... Qd5+がチェックでありながらa1のルークも狙うダブル・アタックですが……」

 

加蓮「将棋の世界では、王手飛車とりは掛けた方が負ける、なんて言われてたりするらしいけど……ね。古典的なクイーンとポーンのエンディングになったなぁ」

 

 *

 

f:id:rikkaranko:20171028195846p:plain

 36. ... Qe4+ 37. f3 Qxa8 38. Qxf7 Qc6 39. g4 Qc2+ 40. Kg3 Qg6 41. Qxg6+ Kxg6 

「周子、どう?」

 

 私は、マキノと盤を挟んで詰みを読んでいる周子に声を掛ける。二人の手が停まっていたからだ。

 周子は、首をゆるゆると振った。銀色の前髪が哀しげに揺れた。

 負けじと、私たちも継ぎ盤を動かす。幼少組が魅せる激戦のクオリティに圧倒されながらも、最後に残る意地のようなランタンの火が、私たちの中に静かに灯った。

 

 *

 

f:id:rikkaranko:20171028200340p:plain

 

 42. h4 Kf7 43. h5 Ke6 44. Kf4 Kf6 45. Ke4 Ke6 46. f4 Kf6 47. Kd5

 

加蓮「これはお手本通りのエンディングの手筋よね。近接見合いを発生させてから、一見ソッポの方向に出て、相手のキングを包むように寄せていく。これは、読み切ったのかな」

 

穂乃香「加蓮さんは、もうメイトを読み切っていますか?」

 

加蓮「うん、まぁ。でも、見届けよう」

 

 *

 

f:id:rikkaranko:20171028200629p:plain

 

 47. ... Kf7 48. Ke5 Ke7 49. f5 Kf7 50. f6 gf+ 51. Kf5 Ke7 52. Kg6 Ke8 53. Kxf6 Kd7 54. Kg7 Ke6 55. Kxh6 1-0

 

 蘭子が疲れ切った様子で、盤上にただ一つ残ったキングを倒した。

  それを見て、小梅が頭を下げ、右手を差し出す。二人の白い手が固く握り交わされた。

 

蘭子「……準備、してきたんだけどなぁ」

 

 細かく震えている小梅の肩越しに見える、寂しそうに笑う蘭子の顔は、凄絶な程に美しかった。

 

(続く)