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フリルドスクエアと行く、奥深いチェスの旅。

八神マキノのブレイクタイム[戦場の霧の中で]

 

 戦場の霧、というのはもともと軍事学の術語よ。プロイセン軍事学者・クラウセヴィッツという人がその著述『戦争論』の中で初めて言及し世に出した概念なんだけど。要は、戦場に於ける作戦行動の中の、指揮官から見た時の不確定要素のことを言うのよ。

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 ホライゾン・エフェクトについて話そうかしら、って思ったときに思い浮かんで。なんかポエティでいいでしょう?

 

 厳密には、似て非なる概念だけどね。ホライゾン・エフェクトと戦場の霧は。

 ホライゾン・エフェクト、『水平線効果』とか、『地平線効果』とか訳されるのかしら。特に日本語の文献やらなにやらでは前者の言い方が多い気がするけど。私としては、情報伝達に於ける境界面を示す『イベント・ホライゾン』って術語を『事象の地平線』とか『事象の地平面』って訳すのに揃えて、『地平線効果』って呼びたいのだけど。

 

 探索深度と各探索法の間の関係で、『探索アルゴリズムに於ける、探索を有限に設定した場合に発生し得る、長期的な視点では問題が起きてしまう効果』のことよ。

 この概念を血肉とするために、いろいろ言い換えてみましょう。特に後ろの部分が不可解でしょう?『固定された深さで探検していたら、地平線の先に落とし穴があっても気付かずに落ちてしまう効果』とか、そんな感じでいいんじゃないかしら。深度、深さは英語でdepthっていうから、深度を表す変数としてdを設けてあげる。すると、dが有限である限りd+1以降の深さの落とし穴は見つからないってことなのだけれど。

 

 チェスコンピュータを引き合いにしてみると……。

 例えば、『深さdでの探索』っていうのを、簡略化の為に、ここでは単に『d手まで読む』ってことだと考えましょうか。そうしたら、『d+1以降の落とし穴を見つけられない』というのは、『d+1手以降まで進めたら不利になるような変化がわからない』ってことになるわね。

 『問題が潜んでいるかもしれない』というのは、チェスゲームみたいなものに関しては『深度dで探索したときの評価と、深度d+1以上で探索したときの評価が異なって、しかも後者は不利な評価である』って換言することもできるわけね。

 

 ちなみに、よく誤用されているみたいだけど、将棋やチェスのプログラムが負けを『悟った』ときに『王手ラッシュ』をかけて手数を引き延ばそうとする、というのは地平線効果じゃないわ。あれは単なる悪あがきで、そういう風にプログラムが作られているってだけ。要は『効果』ではなく『仕様』ね。手数を最大化しよう、という仕様。王手を指そうとする読みは、深度dでの読みの産物だもの。

 でも、その『負けを悟った』ってところに実は落とし穴があって。実は『深度d+1以上の探索では負けじゃなかったのに、深度dでの探索をした所為で負けを悟った』のだったら、それは『地平線効果の産物としての王手ラッシュ仕様』になるわけだから。難しいわね、思考ログを見れば後から分かる話だけど。

 

 当然、dは増やせば増やすほど、この落とし穴に引っかかる可能性が減るわよね。

こういうコンテクストで数学屋がやりたいのは、変数を最大化した状態で何が起こるか、ということなのだけれど……さて、d→∞としたとき何が起きるのかしらね?

 

 定性的に考えてあげれば、「地平線効果が起き得ない探索」を想起しているから、これは即ち探索のオブジェクトが完全解析されたときを仮想していることになるのかしらね。要はチェスや囲碁、将棋といったボードゲームのプログラムに関しては、これらのゲームが完全解析され、『最善手』をプレイヤー同士が選択していき、更に決着がつく乃至『つかない』ことが証明された状態、よね。

 ということは厳密には、地平線効果は完全解析を待たなければそれ自体を回避することができない、ということになるのだけれど。

 

 人間は『大局観』という言葉が好きよね。どのように定義されているのかは知らない、曖昧な概念だけれど。『大局を掴む』とか、言うわよね。往々にしてこの言葉で表現したいことは多分、「経験則などに基づいて直感的に形勢判断をこなすこと」だと思うのよね。

 だったら言葉の性質として、Artificial Intelligenceに大局観を求めること自体間違っているとは感じるのだけれども、まぁそれはこの際いいでしょう。地平線効果がある限り、完全な『大局観』を持ったAIというのは出て来ないのじゃないかしら?というのは素朴な疑問でしょう?

 

 チェス・コンピュータはこの効果に対して、様々な手法を用いて深度を固定した探索のみに頼り切らないことで改善しようとしてきた歴史があるの。それこそ、ピースがn以下になった局面についてうすべての展開をデータベース化する、なんていうプログラムの助力を得たりして。指し切りの局面からなら、効果も生じないでしょう。ここで深入りするつもりもないけれど、コンピュータチェスの発展の歴史と、静止探索の発展が同期しているのも興味深い事例ね。

 

 ところで、草創期に想定されていた用語と、定義に基づく概念が食い違うことって、案外あるのよね。私はそのひとつがこの地平線効果だと思うの。

 というのは、もともとの地平線効果って、もっとプリミティヴなプログラムに対して、それこそ単純な探索に付随する障碍として捉えられていた概念よね。それに比して今や人間の誰もが勝てないようなチェスをプレイするコンピュータという状況を鑑みれば、我々は既に当初の目的であった、『ある程度の大局観を有する論理ゲーム・プログラム』というものは叶えられた訳で……。

 

 ここで、地平線効果を別の立場から論じてみるのも面白いと思うの。そう、フレーム問題よ。

 フレーム問題とは、「有限の情報処理しかできない人工知能は現実世界で無数に起こり得るすべての可能性に対処できないことを示唆する問題」と言われるけれど……そうね、例えば、貴方が念願かなって、理想の異性の外見と世界最強のチェス・ソフトを備えたロボットを入手したとするでしょう。そして、彼ないし彼女と実際にチェスを始めようとしたときに起こり得る問題……といえば興味が湧くかしら。

 

 ひとつの物事を遂行するためにプログラムされた人工知能は、それを遂行するにあたって付随する障害は判別できない。

 その問題点を改善すべく、付随する障害もクリアするようにプログラムされた人工知能は、現実に起こる可能性がある事象の中でどこまでが『付随している』のかが判別できない。

 では、さらにその問題点を改善すべく、付随していると思われない問題については考えなくてよい、とプログラムされた人工知能は……そう、何が『考えなくてよい問題なのか』がわからなくて、有限の計算リソースを無限に費やしてしまう羽目に陥る、というのよ。

 

 地平線効果は、大きな枠組みでとらえればこのフレーム問題のひとつの定式化といえると思うの。すると、有限の探索以上に我々にとってはある意味で重要な意義を帯びてくる。なぜかって?我々のような自然界の知的生命体がどのようにして問題解決を限られたリソース内でこなしているのか、ということが解明されていないからよ。つまり、フレーム問題を考えることは、我々の問題解決のモデルを考えていることにもなる、ということね。

 問題には解内在型と解外在型のものがあるーーそんな説をどこかの科学者が唱えていたけれど、解が一意的に定まらない問題に対して、正解ではないにしろ、我々は限られた時間や能力、経験の中で『誤りではない』解を導き出す能力というのを備えているーーヒューリスティックな問題解決、と言ったりするのだけれど。

 

 人の思考活動にとっては言語と思考は不可分よね。言語処理を伴わない思考というものを思考することすら能わない。

 機械学習という点では、いくつかのブレイクスルーを我々は手中に収めた。その最たる例が『ディープ・ラーニング』というヤツよね。閉世界仮説の中で、人工知能は学習した履歴に基づき、それを直接参照するのではなくそこから自分なりに最良を判断することすら可能にし始めている。

 対して、言語処理という点では我々は手に何も持っていないも同然なのよね。チェス・チャンピオンのカスパロフを倒すためにチェス・コンピュータ「ディープブルー」が生まれたのは有名だけれども、今日アプリケーションやクラウドソーシングなどにも応用されつつあるIBMの「ワトソン」は、もともとクイズのチャンピオンにクイズで勝つことを目的に作られた人工知能だった。そして、その性質上、言語処理をどうクリアしていくのか、ということがこの企画の目玉だった。結論から言えば、技術的に特異な飛躍を得たのではなく、IBMは圧倒的な資本力でもって大量のデータを覚えこませる、という極めて原初的な方法で一定以上の成果を達成した、というのが現状なの。画像処理や問題解決と並行して、言語処理に卓抜した能を示す人工知能の到来は、どうやらまだ日を待つらしいわ。

 

 つまりは、チェスを力任せに、エレファントにマシンの力で解析し、それに基づいてチェスをプレイする強いソフトはこれからも出てくるでしょうけれど、本当の意味で人間のように思考する人工知能の登場には、まだまだ壁があるようだ、という話よ。そもそも、人間が『神』を手本にしたように人工知能が『人間』を手本にする、という思い込みこそが我々の抱える最大のフレーム問題なのかもしれないけれど……。

 

 少なくとも、まだまだ私たち人間がチェスを楽しむ時間がコンピュータに取り上げられてしまうようなディストピアには、時間がありそうよね。でも、今のうちからセンシティヴに広汎な問題意識を涵養しておかないと、そのうち貴方よりも上手に話し、貴方よりも上手にボードゲームをプレイし、貴方より上手に思考する人工知能に、貴方の人権が剥奪される可能性もないとは言えないわ。だってそうでしょう?それが私たち、ヒューリスティックな人間様の絶対特権だもの。それに気が付くのは1984年より前が望ましいわね。

 

(続く)