愛とは、全人生をかけてアイドルにチェスを教えること。

フリルドスクエアと行く、奥深いチェスの旅。

星巡る物語 盤外編

 

 ――遊びとは戦いであり、戦いはまた遊びである。

 

 オランダの遠き歴史家・ホイジンガの言葉を引いて私たちが語りたいのは、戦いを模した遊びの歴史であり、また遊びの形をとった戦いの歴史でもある。

 

 彼はまた、こうも言うのだ。

 

 ――文化を守るためには、それを作り続けねばならない。

 

 数多の人間の営為が堆積し、洩れ落ちた後に僅かに残った残滓を我々が歴史と呼ぶのなら、間主観性を獲得するに至らなかった星屑の数ほどのイベントがあったことも忘れてはならない。

 

アナスタシア「ドーブライ、ヴィエーチル。こんばんは、アーニャです。今日は、『星巡る物語』の外伝ということで……アトモスフィエラ……今までとはちょっと雰囲気が違いますね?」

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 本日我々が追うのは、星の生涯ではなく、星々の軌跡であり、宇宙の半生である。

 

アナスタシア「チェスという文化の歴史について、観て行きたいと思います」

 

 我々は、フィッシャーやカパブランカが我々と寸分狂わない同一のルールでチェスをプレイしていたことを知っているし、定跡に名を遺している教皇・ルイ・ロペス・デ・セグラが500年ほど前に同じルールに基づき、同じように思考を愉しんでいたことを疑わない。しかし、では、チェスとは、いつごろからプレイされていたのだろうか。

 

アナスタシア「チェスは戦争を模しています。だから、戦争と共にあったのでは……という発想はとても良いセンを行ってますね」

 

 では、女神たちの時代、古代のギリシャであろうか?貴方の脳裏には今、トロイア戦争の攻城戦のさなか、篝火を囲み陶器の人形を操る兵士の姿が、浮かんでいるかもしれない。

 

アナスタシア「ク ソジャリーニュ……残念ながら、それは惜しいですね?そのボードゲームの子孫を、我々は今『バックギャモン』と、そう呼んでいますから」

 

 チェスとバックギャモンの大きな違いに、駒以外の物を使用するという点があることに、もうお気づきだろう。そう、賽子の存在である。カエサルが『賽は投げられた』と発言した逸話はあまりに有名だが、当時すでに賽子は最古にして最も簡単な構造を持つ乱数生成器として、市民権を獲得していたことが伺える。

 

アナスタシア「将棋やチェスなどを始めようと思って、指南本を買った人なら読んだことがあるかもしれませんが、インドには『チャトランガ』というゲームがありました。これがチェスや将棋、シャンチーなどの生みの親と言われています」

 

 厳密に言うなれば、これも少しだけ補足がある。

 というのは、チャトランガは既に王、象、騎士、船と兵士を象った5つの駒と64のマス目を持ってはいたが、4人制のゲームであり、またそのターンにプレイヤーが動かすことができる駒及び駒の動きは4面の賽子によって意思決定されていたからである。

 

アナスタシア「こんな言い伝えがあります……」

 

 群雄割拠する領主たちが戦争や併合を繰り返し各々の領土を拡大することに執心だった時代のことだ。血を流さない戦争として、チャトランガによる領地のやり取りもなされたという。しかしこのゲームは運の要素を多分に含んでいた。そこで賢王バルハイトは、家来の中でも秀でて賢かったブラーマンという男に、人間の能力の中でも最も特筆すべき、思考力と勇気のみが試される『完全な』ゲームを作ることを要求したのである。これを受けてブラーマンは偶然性を排するべく賽子を捨て、4軍を2軍に編成し直したのだ。これが本当の意味での、チェスの母型と言えよう。

 史実としては、賽子を手放しマインドスポーツとして精製されたという出来事が歴史に登場するのは、ササン朝ペルシャの古文書と言われている。

 

アナスタシア「どこまでが本当のことで、どこからが脚色か。そんなものは我々にはわかりません。ヒストリーとストーリーは似ており、イストリアは歴史であり、物語を意味します。人が記述すれば、それは余すところなくすべてフィクションです」

 

 思考力と勇気の試練として君臨する、この最も気高いボードゲームを終わらせる合図に『チェックメイト』という言葉があるのはよいだろう。これは英語だが、フランスでは『エシェックエマト』という。印欧言語の発音が似ていることの御多分に洩れない例だが、この言葉の起源はペルシャ語で『王は死んだ』を意味する『シャ・マト』だと言われているのはご存じだろうか。

 

アナスタシア「インドからペルシアへとこの古代のチェスが伝播したのは7世紀のことと言われています。遠い昔の、話ですね」

 

 ペルシアを通じ、イスラムの文化交流の波に乗ってすでに7世紀にはアフガニスタンの辺りまで、チェスの足跡を追うことができるという。そしてアラビア文明は唐へと流れ込み、中国でシャンチーが産声を上げた。このゲームの変形が、更に朝鮮半島に伝わるチャンギーだ。これらは9本の線を持っておりーーもうお分かりの通りーーこれが9の行と列を持つ将棋へ繋がったと言われている。

 

アナスタシア「日本では『西洋将棋』と呼ばれているチェスですが、起源も洗練も東洋の地にあったのですね」

 

 では、『西洋』でのチェスの発展は、というとここで我々は一つの空隙に飲まれてしまう。古代ロマン文化の衰退、そして十字軍の駆る馬の嘶きと共に『暗黒時代』を見送って初めて、アラビアから伝来した文明という形で西洋文化が花開くからである。

 

アナスタシア「ルセナ・ポジションに名を残しているルイス・ルセナが西洋で最古のチェスの本を記したのは、15世紀の末の話です。私たちはルネサンスと呼んでいますね」

 

 そしてチェスが更なる洗練を経験するのは、この時代のスペインに端を発する。スペインには歴史上、『太陽の沈まない国』があったことも見逃せない。神聖ローマ帝国が広汎にヨーロッパを支配したこの時代、宮廷に取り込まれたことが非常に要因として大きいのである。

 

アナスタシア「ポーンは2マス進むようになり、キャスリングが、次いでプロモーションのルールが整備されていきました。こうしてマイナーチェンジを加えられながら、大勢の支持を受けたものが、大航海時代に胡椒とともに植民政策を通じて世界中に広がっていったのです」

 

 チェックメイトは英語だが、アンパッサンはフランス語だ。16世紀に君臨したスペインのプレイヤー、ルイ・ロペス・デ・セグラは定跡をその名に留め、同じくイタリアのジョアッキーノ・グレコがシシリアン・ディフェンスの研究をしていたことが知られている。この時代にはもう、同胞は私たちと同じく、白と黒に塗り分けられた64マスの海をキャラヴェルの帆に風をいっぱい受け止め航海していたのだ。

 

アナスタシア「ちなみに、日本で初めてチェスに言及したのは1869年、『西洋将棋指南』という、チェスについてのルールブックだったということです」

 

 列強と比肩することに血涙を流した時代が私たちの国にはあるので、チェスはなかなか根付かなかったのだろう。将棋がマッカーサー元帥に取り上げられなかっただけありがたい話なのだろうか。戦争をかたどったゲームであるチャトランガも後の世界大戦を経て規制を受けることになったのだが、それもまた別の話だ。

 

アナスタシア「これが、チェスというボードゲームを『外から』眺めた時のイストリア、ですね。次に、私たちは『中から』チェスを俯瞰します」

 

 ここからの我々の分析の関心はもっぱら、『現代的なチェス』が確立されてからに向かうのは当然の話であろう。ルイ・ロペスやジョアッキーノ・グレコが嗜んだチェスこそ、我々が今日日パソコンの電源を点ければすぐに楽しめるものだからである。

 

アナスタシア「チェスの中心はしばらくはスペインにあった、という話はしましたが、17世紀に徐々に実権がフランスに奪われていきます」

 

 宗教戦争の爪痕から立ち上がるとともに、初頭こそバロックの影響を多分に受けながらフランスが17世紀中ごろからフランス古典主義という独創的な世界を確立した背景には資産家たちの尽力がある。通商国家という外見と絶対王政という内面を巧みに両輪としたこの時代のフランスに於いて、パトロンの支援を受ける『娯楽』としてのチェスがコーヒーハウスで絶頂を誇ったのだ。

 

アナスタシア「天才が時代を呼ぶのか、時代が天才を作るのかは定かではありませんが、この時代のフランスにフランソワ・フィリドールがいたことは無視できません」

 

 フィリドールは初めて論文的な性格を帯びたチェスの著述を発表したといっても過言ではない英傑だ。近代チェスのポーン構造の基礎をたった一人で築いたこの男が言ったとされる『ポーンはチェスの魂である』という言葉は今もチェス・プレイヤーの耳朶に胼胝を作っているのだから。

 

アナスタシア「1744年には、フィリドールが2人相手の目隠しチェスを行った記録も残っています。興業としてのチェスがあった証拠ですね」

 

 余談であるが、コーヒーハウス・チェスというのは19世紀に入ってチェスクラブが林立し急速にチェス団体が組織化されていくまで続いていくチェスのスタイルになった。

 

アナスタシア「フランスから覇権を奪い返したのはやはり『太陽の沈まぬ国』、イギリスでした。チェスピースの名称や、ゲームの記録といった整備に尽力したスタントンの時代です」

 

 スタントンがフランスと祖国イギリスとの国際試合でサン・タマンを下したのは1843年のことである。その13年後、アメリカの大会で優勝した一人の青年の名が、ポール・モーフィといった。モーフィやアンデルセンといった、輝かしいプレイヤーの時代がすぐそこまで近づいていた。

 

アナスタシア「この時代のチェスを『ロマンティック・チェス』といいます。長期的戦略を用いず、序盤から華々しいピース交換が起こり、最後は殴り合いのような技の掛け合いが、この時代のプレイスタイルの特徴で、それをロマンティックスタイルと呼んだりもしますね」

 

 その最たる例をひとつ挙げよといわれたなら、私は一晩以上呻吟することだろう。しかし、二つ上げよといわれればそれは容易い。アンデルセンの名局の中からイモータル・ゲームエヴァーグリーン・ゲームを持ってくればよいからである。

 

アナスタシア「ロマンティック・チェスは別名をダル・チェスと揶揄されることもありました。鈍い、の意味ですね」

 

 しかし、人一倍その指摘に苦しんだモーフィですら、1. e4 c5の呪縛から逃れることができなかったのである。華々しく、しかし論理ゲームとしてファンダメンタルな発展に欠けたロマン派の時代は、政治や国際情勢に揉まれて唐突に終わる。

 

アナスタシア「歴史の転換点にはふたつのタイプがあります。ひとつはそれを迎えた瞬間に時代が変わったことを誰もが理解するもの。そしてもうひとつは、そこから徐々に世界が変わっていき、あるところで後世の人間が振り返ったときに変化の起点となっているものです」

 

 その転換点は後者のタイプだったといえよう。1873年、シュタイニッツがクイーンズ・ゲームによる高度なポジション・プレーを知らしめた事件である。

 

アナスタシア「ロマンティックスタイルは1930年代までその影響を歴史に留めますが、シュタイニッツやラスカーといったプレイヤーがユダヤ人であったこともまた、チェスの歴史では数奇な巡りあわせでした。ナチス・ドイツソビエト連邦、また冷戦時代のアメリカがそうであったように、戦争を模したゲームとして娯楽の世界チャンピオンとなったチェスはここにきて、政治的なプロパガンダの材料として、また戦争の道具に回収されつつあったのです」

 

 ポジション・プレーはやがてさらに洗練され、単にセンターをポーン構造でコントロールすればよいのか、とそれまでのチェスを根底から揺るがす概念を生むことになる。ハイパーモダンの時代であった。

 

アナスタシア「話は前後しますが、シュタイニッツは『近代チェスの父』と呼ばれていますね。それには理由が二つあります。ひとつは、彼のチェスが時代の転換点となったこと」

 

 そしてもう一つは、彼が初めての公式な世界チャンピオンだということである。チェスの団体が、古代インドに群雄割拠した領主とその私領よろしく乱立する時代を経て、国際的にマインドスポーツとして腕を競い合う趨勢が生まれていたのだ。1886年、ツケルトートにシュタイニッツが土をつけた試合は『公式戦』であった。

 

アナスタシア「公式である、ということと客観的である、ということはまた違った文脈であることに注意しないといけません。1924年に設立された国際チェス連盟がチャンピオンマッチを仕切るようになるまで、客観的な意味での公式世界チャンピオンというのは登場を待たねばならないのですね」

 

 設立当初の国際チェス連盟、FIDEの力は生まれたての小鹿の足腰よりも弱かった。なぜなら自立に必要なだけの力を秘めた大国であるソビエト連保は先述のようにプロパガンダ・ツールとしてチェスを見做していたため、FIDEの標榜する『非政治性』に与することをよしとしなかったからである。

 

アナスタシア「FIDEが取り仕切るまでのチャンピオンマッチは、チャンピオンの鶴の一声で決まる世界でした」

 

 我々が想起する最も大きい例は、1921年にエマヌエル・ラスカーを破って世界チャンピオンの玉座に輝いたホセ・ラウル・カパブランカはアレクサンドル・アレヒンに敗れた1927年までの7年弱、一度とて防衛戦を張ったことがないという事実だろうか。

 

アナスタシア「この、タイトルの私物化ともいえる時代は第二次大戦の終戦直後に訪れたアレヒンの死に殉じました。彼がタイトルを保持したまま急死したことにより、第三者機関がチャンピオンマッチを仕切る必要性を世界が認めるようになったのです」

 

 FIDEによる組織化を経てチェスは競技として現行のスタイルになった。しかしそこに波風が立たなかったわけではない。

 

アナスタシア「1993年は転機の年でした。世界が分裂したからです」

 

 時のチャンピオン、ガルリ・カスパロフと挑戦者ナイジェル・ショートがFIDEに叛旗を翻したのである。しかしながら、我々はすでにこの一件については、本企画の始まりにあたって彼の半生に伴行して観てきた。

 

アナスタシア「チェスにコンピュータが参入したのも、看過しえない出来事でした」

 

 チェスのチャンピオン、カスパロフをチェスで破るためにプログラムが組まれコンピュータが作られたように、シンプルな動機が技術の水準を引き上げるケースが最近にもあった。今や様々な分野に応用されつつある最先端AI・IBM Watsonはもともとクイズ番組のチャンピオンにクイズで勝つことを目的に作られたものである。巨額の研究費の投資により自然言語処理にブレイクスルーを齎すかと衆目を集めているこの人工知能の行方には期待と畏怖が入り混じった心境だ。

 

アナスタシア「人とコンピュータ、という構図で私たちは物事を最近捉えてしまいがちですが、コンピュータも元々、ルークと同じく自然界にない人工物です。『文化を守るためには、それを作り続けなければいけない』。今一度、人間の最も特筆すべき能力である、思考力と勇気の象徴を通して、私たちは自省するときに来ているようには、思いませんか」

 

 今を生きていく瞬間が積み重なって、歴史になっていく。

 書かれなかったことを、なかったことにしないために、生きていく。

 

 チェスは知恵の試金石である。

ーーゲーテ

 

アナスタシア「ダスヴィダーニャ、ダフストレーチ!」

 

(続く)

 

(ナレーション・川島瑞樹 / 文・鷺沢文香)