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フリルドスクエアと行く、奥深いチェスの旅。

速水奏の映画メモ(『007 ロシアより愛をこめて』)

水奏の映画メモ

イドル・速水奏。夜の帳をもってしても、彼女の秘めたるエネルギーと魅力を覆い隠すことは能わない。月の光に映し出されたその妖艶な瞳は恰もロマンスの前に無慈悲な夜の女王の様である。

 女の抑えようとして尚抑えきれない魅力は、彼女独特の世界の洞察に由来する。その洞察力を栄養してきたのが、彼女の人生に付き添ってきた古今東西の名作映画であることは明らかだ。

 本誌屈指の人気コーナー、『速水奏の映画メモ』。彼女の瞳にはハードボイルドがどの様に映っているのか――。

 (文責・鷺沢文香)

 

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 ねぇ、ふたりでパーティー抜け出さない?…ふふっ。なーんて、映画のワンシーンみたいよね、このセリフ。

  今日紹介するのは、冒頭のチェスのシーンがとても印象的なこの映画よ。

 

『007 ロシアより愛をこめて、1963年公開のイギリス映画で、上映時間は113分。

 

 運河のシーンから一転、ベニスで行われたチェス選手権。優勝を決めたクロンスティーン(ヴラディク・シェイバル)はラスト・ゲーム中に「至急、出頭せよ」と言う指令を受ける。

 彼はチェスのチャンピオンであると共に、ソビエト情報部主任であった彼。裏の顔は国際犯罪組織・スペクターの一員であり、司令部長でもあったのね。

 スペクターの目的は、英国情報部のジェームズ・ボンド(ショーン・コネリー)への復讐と、ソビエト情報部の新型暗号解読機『レクター』の入手。復讐というのは第1作目を受けてのことね。ドクター・ノオの仇討といったところかしら。007シリーズ最高傑作の名高い本作は第2作目よ。単に殺すだけではなく、ロマンスがらみで汚名を着せて殺すことを目的としているから、その復讐心は筋金入りね。スペクターは、ソビエト諜報部の殺人機関元課長(ロッテ・レーニャ)が極秘裏に首脳部へと異動したことを聞きつけ、事情に疎い職員を利用してこの計画を遂行する段取りを調整したのよ。

 別日、英国情報部長、つまりボンドの上司であるM(バーナード・リー)の下に、トルコ支局長のケリム(ペドロ・アルメンダリス)から入った連絡はこう。タチアナ(ダニエラ・ビアンキ)というソビエト情報部の女子情報員が、ボンドの写真に一目ぼれをし、彼に会わせるよう依頼をしてきた、というもので、ロンドンへの護送にボンドが付くならばソビエトの『レクター』を盗み出す、という条件が付記されていたの。どう考えても罠よね。でも、ボンドは敢えてこの話を受けて、トルコはイスタンブールへと飛んだ。そうして、タチアナも現れ、彼女は手はず通り『レクター』を手中に収めるの。彼女の希望で、飛行機での逃亡ではなくオリエント急行を経由してロンドンへと向かうことになるの。ここではトルコ支局長のケリムが自ら護衛を申し出て随行するのだけど、その夜、彼はソビエト諜報部の刺客に襲われ殺されてしまう。

 タチアナを詰問してもその意図は不明で、次の駅では欠員を埋める護衛として、『Mから派遣された』というレッド(ロバート・ショウ)という男が乗り込む。しかし、彼はタチアナに睡眠薬を盛り、更に隙をついてボンドを襲撃するの。ボンドのコードネームは東京の同僚が死ぬ前に吐いた、と。実はレッドという男、二重スパイで本性は『スペクター』のアサシンだったのね。ボンドは彼を返り討ちにする。

 そして、レッドを迎える手はずになっていたトラックが、ボンドたちの乗るオリエント急行の行く手を阻むように線路上に停止していた。ボンドはこのトラックを奪って港へと向かうわ。途中、追ってきた敵のヘリを撃墜したりね。終始テンポがいいのも、本作の特徴よね。

 港へ到着したボンドとタチアナは、モーターボートを奪ってヴェニスへと向かうの。ヴェニスのホテルの部屋で、メイドに扮し入ってきた最後の刺客・ローザ(ロッテ・レーシャ)をタチアナが機転を利かせて仕留め、二人は邪魔者のいなくなったヴェニスを愉しむ……というのが大まかな粗筋かしら。

 

 まず驚くのは、本作は60年代に作られた、ということね。アクション映画の雛形はこんなに早く完成していたのだ、ということがこの映画を観るとよくわかるわ。列車の格闘シーンなんかは、今のアクションに目が慣れてしまった私たちにとってこそ、少しテンポを欠くように思うけれど、当時の映画界はどれだけの驚愕と興奮をもってこの映画を受け止めたのかしら、と思うと少し今に生きるのが悔しくなってくるくらいの出来だと思うのよ。その意味で、構成や手法としてもまさしく最高傑作として受け止められて然るべき作品だと私は思っているわ。間違えてはいけないのは『モスクワより愛をこめて』よ。絶対よ。

 少し解せないのは、骨の髄まで資本主義嫌いであったはずのタチアナがいとも簡単にボンドに惚れてしまうことなのだけれども……伊吹が『恋っていうのはそーゆーものなの!自分の何もかもを破壊して、新しく作り変えてしまう様な衝撃を恋愛ってゆーんだから!』って言うから、まぁ、そういうものなのかもしれないけれど。恋愛映画の機微はよくわからなくて、はぁ。

 それからもう一つ、強調したいのは、『等身大』に拘る姿勢が後々の映画史へ多大な影響を与えたに違いない、ってことかしら。どういうことかというと、主人公・ボンドにもいろいろ落ち度があったり、完璧超人では決してないのよ。寧ろ、在りのままの人間って感じがして。それに、『秘密兵器』よね。とんでもない重装備じゃなくて、アタッシュケースひとつ、と拍子抜けしてしまうくらいコンパクトなのが、逆に「本当に作れてしまいそう」なリアリティを与えていると思わない?コンパクトというのは、悪く言えば地味で見栄えに掛けるということだけれども、その分観客の想像力を掻き立てるという効果があるのよね。絶え間なく流れるテンポの良さの中に、リアリティやイマジネーションを掻き立てる効果を少しずつ鏤め、素敵な音楽が耳を打ち、そして細々と伏線や、既出のシーンに繋がる憎い演出が空間を埋めていく。ハードボイルドの金字塔であり、現代映画の原風景のひとつを観るような気がするわ。サスペンスやアクション要素も強めで、時間も2時間弱と短く、偶の休みに観てみるのも、悪くないんじゃないかしら。

 

 この、『ロシアより愛をこめて』とは、素晴らしい邦題だと個人的には思うのね。『完全なるチェックメイト』とは大違い……なんでもないわ。何が良いって、『ロシアの地から愛している』という意味があるのはまず当然でしょう?だって、ボンドが受けた指令というのは「ロマノヴァというソ連情報部の女性情報員が、ボンドの写真を見て一目惚れしたらしい。『彼に会わせてくれ、そしてもしロンドンに連れて逃げてくれたらソ連の暗号解読機を盗み出す』と言って来たが、どうするか」という指令だったのだから。ロマノヴァこと、タチアナがボンドに『From Russia with Love』だというのはイイじゃない?

 でも、実際に会ってタチアナは、本当にボンドに惹かれ惚れてしまうのよね。そして、罠ではなく、祖国ロシアを裏切ることになってしまう。つまり、祖国より愛を取るわけじゃない。だから『ロシアよりも、愛を大切にする』という意味も、この『ロシアより愛をこめて』という邦題は秘めているのよ。

 ちなみに、本邦初公開時のサブタイトルは『危機一』だった、というのも有名な逸話よね。危機一髪ではないところに、『銃の一発』と掛けてある洒落があるのよ、うふふ。オマージュで有名なのは『ルパン三世』かしら?

 

 ちなみに、冒頭シーンに出て来るチェスの終盤の話を少しするとね。

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 ここで白番、クロンスティーンの手番なのだけれど。ここから1. Nxe5+ Kh7 2. Qxe5と進めてここで黒がキングを倒すの。このゲームには実は元ネタがあって、それが、Boris Spassky vs David Bronsteinの1960年の名ゲームなのよ。こんなところに、スパスキーの欠片を観るなんて、ある意味、ヴェネツィア逃避行よりもロマンチックでしょう?ふふっ。

 

「罠に敢えて挑戦するのが英国人気質だ」

 最高にクールで、これぞハードボイルドの原点よね。

 スパスキーの話を聴いて、思い出したから。彼の名局が優しく彩りを添える名作を紹介させてもらったわ。

 どうかしら。天気のすぐれない夜が続く季節の足音が、アナタにも聴こえてきているんじゃない?そんな夜、英国人ぶって、気に入りの映画で夜を更かすのも、悪くないわよ。

 

(続く)