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愛とは、全人生をかけてアイドルにチェスを教えること。

フリルドスクエアと行く、奥深いチェスの旅。

星巡る物語 第1回 ~Garry Kimovich Kasparov~

 

 星降る夜に、銀髪が映える。アナスタシアの足元から、過去と未来が伸びていく。

 新企画、『星巡る物語』。彼女は今夜、どのような物語を紡いでくれるのか。

 

アナスタシア「ドーブルイ、ヴィエーチル。こんばんは、アナスタシアです。アーニャと、呼んでくださいね」

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アナスタシア「ズヴェズダ……私たちの目にしている、星の光というのは、ずっと昔のものです。過去に放たれた細い光が、いま燦然と私たちを照らしている……。素敵ですね。アーニャは、星見るの、好きです」

 

 茫漠と夜空を眺めている寂寥のひとときには、宇宙とは過去そのものであり、実は過去から未来へと時間は流れているのではなく、未来から流れてきた物が我々を通り過ぎたものの堆積こそ、過去と呼ぶべきものなのではないかと、そんな感覚すら懐かせる。

 

アナスタシア「また、歴史上に点在するズヴェズダ……星のように、過去から今へと光を投げ掛け続ける人がいますね。この企画、『星巡る物語』では、アーニャ……アナスタシアが、チェスの歴史上にきららかに輝く星を巡って、その人物に纏わるイストーリヤ……物語を紡いで行きたいと、思います」

 

アナスタシア「と、いうわけで、第1回目の今日ですが、アーニャは、バクーに来ています。アーニャの後ろに広がる夜景が見えますか?」

 

 港町・バクーは、アゼルバイジャン共和国の首都である。1920年から、ソビエト社会主義連邦の一翼を担ったアゼルバイジャンは、91年に独立を宣言し、今に至る。この風光明媚な港町は、1908年にはノーベル物理学賞受賞者であるレフ=ランダウを、そして1963年にはチェス界の生ける伝説・ガルリ=カスパロフを生んだ町としても知られている。

 

アナスタシア「ガルリ・キーモヴィッチ・カスパロフは、チェスの第16代世界チャンピオンです。ギーゲモニィヤ……彼の覇権は15年と長い間続き、これはFIDEが出来てからのチャンプの公式な記録としては最長です。……アーニャは15歳なので、想像もつかないですね……」

 

 FIDE、Fédération Internationale des Échecsとは、1924年7月20日にフランス・パリに設立された、チェスの国際組織である。現在加盟国は185ヶ国に及ぶ。

 チェスの世界チャンピオンは、1924年にFIDEが設立されて以来、溯って追認した者含め、全てFIDEの認める公式世界チャンピオンがその王座に就いてきた。元々は、チャンピオンが挑戦者を自ら指名決定し、FIDEが挑戦マッチを組むという形式をとっていたのだが、第4代・6代チャンピオンであるアレクサンドル・アレヒンが政情不安に巻き込まれた果てに、1946年チャンピオン在位のままポルトガルで没したことを受けて、それ以降はFIDEが主催する挑戦者制度が取られていた。ちなみに、アレヒンの直後当時最強の呼び声が高かった5人のプレイヤーによるチャンピオン決定戦を制して第7代チャンピオンに輝いたのは、後述するミハイル・ボドヴィニクであった。

 

アナスタシア「カスパロフは、ユダヤ人の父とアルメニア人の母との間に、1963年4月13日に生まれました。父の姓から、幼いころはガルリ・ヴァインシュテインと言いました」

 

 父親と幼くして死に別れた少年は、引き取られた母の姓・カスパリアンを、後にロシア風に改めガルリ・カスパロフと名乗る様になる。

 

アナスタシア「後に伝説と呼ばれるプレイヤーと、チェスとの出会いは彼が6歳の時だと言います。64マスの宇宙に思いを馳せた少年の手を優しく取り導いたのはまた、チェス界の英雄でした」

 

 ソビエト連邦では、アレヒン没後の第7代から9代、11代と3代に渡り合計して16年間世界チャンピオンの座を守り続けたミハイル・ボドヴィニクが、チェスの学校を主宰していた。この門を前途有望な少年が叩いたのは、1973年のことであった。ときにガルリ・カスパロフ10歳である――

 

アナスタシア「ボドヴィニクは、ソ連出身の世界チャンピオンの第1号です。カスパロフは彼を恩師と慕い、後に彼が通ったシュコーラ……学校もボドヴィニクとカスパロフが共同して運営する様になりますね」

 

・少年期から青年期~世界チャンピオンへ~

 

アナスタシア「頭角を現すのも早かったカスパロフは、15歳の年にグランドマスターになりました」

 

 1978年、ソコルスキー記念トーナメントで1位になったことで、カスパロフGMの資格を手にする。チェスでは段級位のようなものではなく、実力測定が即時的で適正値が測れるとされているレーティング制が導入されており、このレーティング(R)の値によってFIDEからタイトルを認定されるという制度がある。下からキャンディデイト・マスター(CM;R2200~)、FIDE マスター(FM;R2300~)、インターナショナル・マスター(IM;R2400~)、グランドマスター(GM;R2500~)となっている。厳密にはレーティング値の他に満たすべきノーツと呼ばれる要件があるのだが、その説明は割愛する。

 

アナスタシア「10代の頃から将来有望な若手強豪として世界にその名を轟かせたカスパロフでしたが、彼の名を不動のものとしたのは、1984年の世界選手権でしょうか。彼が21歳のときです」

 

 初出場にして勝ち進んだカスパロフは、1975年にボビー・フィッシャーへの挑戦権を得るが、フィッシャーの棄権によりそのまま世界チャンピオンに就任、以後その座を守り続けて10年目に入ろうかという当時の世界チャンピオン、アナトリー・カルポフに挑戦することとなった。カルポフもまた、カスパロフと同じくボドヴィニクのチェス学校が輩出したロシアンチェスの歴史に燦然と輝く恒星である。

 

アナスタシア「この選手権は語り草ですね。6局先取、という条件で始まったのですが、最初の4戦はカルポフがチャンピオンの貫録を見せて圧倒しましたね」

 

 局数無制限、6局先取、という条件は時と場合に非常にマッチを長引かせることになる。チェスは引き分けの多いマインドスポーツであるからだ。チャンプと挑戦者の力量に差がなければない程、互角の勝負が続けば続くほど、マッチは必然的に長引いていく。

 1984年の選手権では、4連勝しカルポフが突き放した後、22引き分けを経てカルポフがさらに1勝を重ね、さらに4引き分けの後、カスパロフが1勝をもぎ取ったのである。勢いに乗ったカスパロフは48戦3勝5敗と追い上げカルポフを猛追したのであるが、マッチの長期化を問題視し、プレイヤーのコンディションを鑑みた当時のFIDE会長フロレンシオ・カンポマネスの判断でこのマッチは中止され、半年後に再戦ということになった。

 

アナスタシア「トップクラスのチェス・プレイヤーはゲームの際に心身共に追い詰められるというのは、昔から変わりません。映画『完全なるチェックメイト』でも、フィッシャーが追い詰められていく様子がとても痛々しいくらいに描かれましたね」

 

 1985年の再戦は、格式と伝統に則った24局マッチで執り行われ、カスパロフが5勝3敗15分けの戦績で勝利、カルポフからチャンプを奪った。

 

アナスタシア「このとき22歳、当時史上最年少でした。そして、この若きグランドマスターは、以後15年間連続で玉座を守り続けるのです」

 

 この最年少記録は、2013年にマグヌス・カールセンがタイで並ぶまで前人未到の記録であった。しかしながら、連続防衛というのは、実は多少の語弊を孕んでいる。というのも、カスパロフはナイジェル・ショートと共に1993年にPCA、Professional Chess Asociationという組織をFIDEとは別に立ち上げ、FIDEからタイトルを剥奪されているからである。

 この独立の背景にはいろいろな事情があったが、直截の引き鉄となったのは、FIDE会長フロレンシオ・カンポマネスが世界選手権の開催地を決定する際に、プレイヤーの投票権を無視したという暴挙に対してといわれている。インテルをメインスポンサーとして、世界選手権の実施とチェスのマーケティングを目的として設立された団体で、PCA主催の世界選手権も執り行われたが、96年にインテルがスポンサーを降りてからは速やかに解散した。

 

アナスタシア「カスパロフは、カンポマネス政権に一方ならぬ感情を抱いていた……とも思われていますが、真実はきっと、チェス盤の中にしかないのです」

 

カスパロフv.s.コンピュータ

 

 ガルリ・カスパロフという人物を、『チェスでコンピュータと戦った人』と記憶している人も少なくないだろう。当時、そのくらいセンセーショナルに扱われ、人類対人工知能の代理戦争よろしい構図で、世界中がこの男の挙措挙動に注目した。

 

アナスタシア「シャクマティ……チェスがそこまで広く浸透していない日本では、彼を『コンピュータと戦い負けた人』だと思っている人もいると聞きます。それは、アーニャ、悲しいです。もっと、彼のことを知ってもらいたい。そんな思いも、アーニャをここ、バクーへと連れて来たのかもしれませんね」

 

 カスパロフとコンピュータの関わりは、彼が生まれるまで遡ることが出来よう。

 彼にチェスのABCを叩きこんだソ連人初の世界チャンピオン、ミハイル・ボドヴィニクが工学博士であり、プレイヤーの第一線を引退してからは初期のチェス・ソフトの開発や、人工知能ソ連の経済計画へ導入する構想を打ち出し、その普及を行っていたことは看過できない。彼らは決して、コンピュータに対立するどころか、寧ろその長所をいち早く認識し、推進する動きの中にいたのである。

 

アナスタシア「そして、また彼に土を付けたコンピュータは『チェスの強いコンピュータ』ではなく、『ガルリ・カスパロフを倒すために作られたコンピュータ』である、ということも、見過ごせませんね」

 

 1989年、IBM社の肝煎りで、グランドマスターを含む6人の開発陣が立ち上げたプロジェクトが、チェス界におけるマンハッタン計画ならぬ、『ガルリ・カスパロフにチェスで勝つようなコンピュータを作る』という計画であった。この年、カーネギーメロン大学のチェス専用コンピュータである『ディープ・ソート』にカスパロフは2戦2勝している。

 

アナスタシア「『ディープ・ソート』こそ、『ディープ・ブルー』の前身ですね。『ディープ・ブルー』は1996年、IBMが開発したチェス専用コンピュータで、この時はカスパロフは3勝1敗2分けで、マッチとしては勝っているのです」

 

 サッカーで、3-1の試合で負けた側が、ゴールを1つ奪ったことを指して『勝った』とは言わないだろう。このときカスパロフは確かに、黎明期にあって、自分の棋譜を基に評価関数を打ち出し洗練して立ち向かってきたコンピュータを一度斥けていたのである。人類の叡智はやはり、人工の知能が立ち向かえるところではないかと誰もが思った。

 

アナスタシア「そして、再戦が翌年ですね。さらに洗練した『ディープ・ブルー』が、2勝1敗3分けでガルリ・カスパロフをマッチでも破ったのです」

 

 カルポフとの僅差の激戦を想起する我々はもう、この人工知能の勝利を手放しに受け入れて歓びはしないだろう。確かに、工学として、またゲーム理論にも、人工知能領域にも大きな、それこそ時代を変えるような革新的な出来事だったことは何人にも否定できない。それでも、この僅差での辛勝だったいう事実は置いてけ堀に、『人類最強の男がマインドスポーツでコンピュータに敗北を喫した』、その事実だけが先走りしてしまったことに、どこか空虚な感情を抱いてしまうのはエゴだろうか。

 

アナスタシア「カスパロフは誰よりこの結果を悔しがりました。そうです、あたかも、人間のライバルに負けたときの様に、悔しがったことでしょうね。そして、誰よりも新しい時代に鋭敏だった彼は、このことを喜ばしくも思っていたに違いありません。だからこそ、今度はカスパロフ側から、リベンジマッチを申し出たのです」

 

 しかし、彼の願いが聞き届けられることはなかった。プロジェクトの目的は、『ガルリ・カスパロフを倒すこと』。地に伏した人間のチャンピオンに、最早IBMは用が無かったのである。彼らはプロジェクトを終了させてしまった為に、叶わぬ再戦となった。こうして、チェスを知る者からすれば2年間の戦績はカスパロフの4勝3敗5分け、とどこか腑に落ちぬ結果のままで、教科書の文字だけが書き足されたのであった。『人工知能は、人類に勝利した。』

 

アナスタシア「『ディープ・ブルー』は『チェスを突き詰めたコンピュータ』ではなく『ガルリ・カスパロフを倒すためだけに洗練されたコンピュータ』であることや、その戦績が互角と言っても過言ではないものであること。更には、決定打となったカスパロフ負けの1局で、『ディープ・ブルー』が指した奇手は、実はプログラミングのバグの結果であった手であること……などは、『人工知能に負けたマスター』という事実に比べて、意外と知られていないのですね……」

 

 ちなみに、彼は2003年には市販のコンピュータでも動作するチェスソフトとして出て来た『ディープ・ジュニア』と戦い、引き分けている。自身の日ごろのメニューの中でも、草創期からコンピュータによる局面分析を取り入れて来たこともあり、また人間とコンピュータがタッグを組んで対戦する『アドヴァンスド・チェス』を提唱、かなり早い段階から人とマシンとの共存の道を模索している第一人者でもある。

 

 チェスは世界で最もプレイ人口を有するボードゲームであり、老若男女を超えて機知と知能を研鑽するマインドスポーツである。その故に、ガルリ・カスパロフはいつだってチェスプレイヤーにとっての眩い星であり続ける。ベテルギウスという星が今この瞬間もあるのかそれともとうになくなってしまっているのか、結局のところ我々には分らないのだ。しかし、彼の星は確かに輝いていた日々の光で以て、我々を照らし続けているではないか――

 

・その後のガルリ・カスパロフ

 

アナスタシア「最後に、カスパロフの現在の話をしましょう」

 

 ガルリ・カスパロフ1984年からソ連共産党の党員としても熱心に活動していたことで知られてもいる。90年に離党しているのだが、2005年にチェスプレイヤーを引退してからは、反プーチン政権を標榜し、ロシアを民主化することを目的に日夜精力的に飛び回っている政治家でもある。

 

アナスタシア「ダー。カスパロフは、2007年には翌年のロシア大統領選の候補にも選ばれていますね。そこにも、彼は人類の知性の代表として認識されている、というのが伺えますね。カスパロフは、ロシア人の誇りであり、チェス・プレイヤーの憧れです。ガルリ・カスパロフは、生ける伝説として、今日も何千万という人の盤上の傍に居続けるのです」

 

 国内ではプーチン政権と戦いながら、ウォールストリート・ジャーナルの寄稿を通し、世界に情勢を発信し、またマインドスポーツの普及イベントにも活発な参加を見せているガルリ・カスパロフ。2005年、『チェスの世界では、現実的な目標が見えなくなった』といい政治家に転身した天才は、今も自分の戦場を探して日夜駆けずり回っている――

 

 人工知能と人類は、敵対的な関係にあると言う人もいるが、私は、良きパートナー関係を築けると思っている。

――ガルリ・キーモヴィッチ・カスパロフ

 

アナスタシア「ダスヴィダーニャ、ダフストレーチ!」

 

(続く)

 

(ナレーション・川島瑞樹 / 文・鷺沢文香)