愛とは、全人生をかけてアイドルにチェスを教えること。

フリルドスクエアと行く、奥深いチェスの旅。

速水奏の映画メモ(『3月のライオン 後編』)

水奏の映画メモ

イドル・速水奏。カルペ・ディエムとは「その日を摘め」「その日を掴め」という意味だったか、我々は日々移ろいゆく彼女の魔性の輝きから、刹那たりとも目を離すことを赦されていないのである。

 女の魅力は、多彩な表現力に負うところもひとつあるだろう。そして、アイドルとして、また女として、その研究に余念のない彼女の感性を涵養してきたのが、彼女の趣味である映画鑑賞だ。

 本誌屈指の人気コーナー、『速水奏の映画メモ』。今日の速水も、その腕を掴まなければ――

 (文責・鷺沢文香)

 

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 こんな話を、知っているかしら。馬には角がある、という話。

 ある人の師が、弟子に問うたの。「馬には角がある。君には、それが見えるか」と。

 それを聞いた弟子はどう答えたか。「角があるなら、見る必要はない」、と答えたというの。禅問答、と所謂呼ばれる中のひとつの話よ。

 

 なぜ私が、この話を引き合いに出したのか、わかるかしら?うふふ。

 西洋と東洋の違いって、いろいろとあると思うの。でも、その中でも特に大きいのが、精神性なのかもしれない、と思ったことがあるわ。聖書に始まる西洋世界観は、神が「光あれ」と言い、そうして光と闇があるところから始まるでしょう?つまり、最初から『分かれ』ているの。分けることは、分かることの先駆け。つまり、彼らにとってはそれこそ物事を理解する根幹なの。

 対して、我々の生きる東洋では、『渾沌』というのが中国の古い哲学に登場する様に、光も闇も別れる前のありのままから出発するの。

 最近、チェスと将棋の違いを通して、そんなことに意識が向かってしまうの。

 そうして、インディビジュアルを大切にする西洋世界観では、たとえばひとつ、限りなく曖昧で、普遍的な問いがあるとするじゃない?そうね、『なぜ生きるのか』というようなものかしら。それに対して、十人十色の解答を尊重する、という趣は確かにあると思うの。

 では、均質化、だとか、『叩いて均す』とか、『出る杭を打つ』なんていわれる日本的世界観が彼らより果たして劣っているのかしら?と81マスの木の盤に問い掛けたとき、何が見えるのかしら。

 その答えをひとつ、私はこの映画を観て手に入れた気がしたの。

 

 前置きが長くなってしまったわね。今日、紹介するのは『3月のライオン 後編』。前々回の「映画メモ」では『前編』を紹介させてもらったけれど、その続きよ。

 私が掴んだ答えと言うのは、この映画の最後のシーン。山形県山形市にある、宝珠山立石寺の、険阻な山岳の中に浮かぶ舞台で、獅子王戦番勝負を宗谷冬司獅子王(加瀬亮)と挑戦者・桐山零六段(神木隆之介)が戦うシーンなのだけれど、この荘厳な景色の中に浮かぶ仏教寺院が、人間の感情を超越する為に切り出された場所にわざわざ設けられたと悟ったときに、直感したのよ。東洋世界観では、問いに対して婉曲的な答えを用意することで、その答えに行きつくまでの過程を自分たちの中に探させる。そこに多様な奥行が生まれて来るんじゃないかしら、って。

「君は、将棋、好きか」

「はい」

 これは、家族の葬儀で、父の友人・幸田柾近(豊川悦治)が、幼い零に問い掛けたときの遣り取り。この遣り取りは映画全編を通じて登場しては、零を時に勇気づけ、時に傷付ける。

 でも、師匠・幸田がタイトル挑戦を決めた弟子・零に着物を仕立ててやるシーンで、幸田は「あのとき、零は、嘘をついたんじゃないかと、ずっと思っていた」と言うのだけれど、その後、「ようやく安心できる」というのね。嘘で将棋が好きという程度では、ここまでやって来られないから、いまこうしていることこそが答えなのだ、と。そうして「将棋が好きだ」と答える零の笑顔がまたなんと素敵か……。

 同じように、答えが先行する茫漠とした問い掛け、というのがいくつかこの作品には出て来るのだけれど、その一つが、同じく幸田と、その娘・香子(有村架純)の遣り取りね。

 不倫の関係にあったプロ棋士・後藤正宗九段(伊藤英明)には病床に臥せる妻がいて、彼はそれを表に出すことなく戦い続けていたのだけれど、妻を亡くした後は「俺は宗谷から獅子王を取り戻したい」と言い、やっと将棋に集中できるから、と香子を部屋から追い出すの。その後、酔って自宅に帰って暴れ管巻き、「すべて将棋に奪われた!」と泣き笑う香子に対して、後日父親である幸田が言うのは、

「将棋は、誰からも、何も奪ったりしない」

というセリフ。それを聞いた香子からはらはらと零れていく涙にこそ、紆余曲折を経て、それでも少しでも前に進む一手を探そうと悶え続けた時間の重みを観るような気がしたわ。

 

 前編からの繋がりを浚うと、新人王戦で優勝し、見事新人王に輝いた零は記念対局で宗谷冬司に挑むことになる。同期して、川本ひなた(清原果耶)が学校でいじめられていることが発覚、なんとか力になりたいと願うも、学校側の乗りだしでいじめが自然消滅し、それを喜びながら自分では何もできなかったと悔いる零。そんな折、川本三姉妹の父親を名乗る男(伊勢谷友介)が川本家を訪れ、彼女たちと一緒に暮らすことを提案するが、実は彼は他の女性との間に子供を作り過去に姉妹を捨てた人物だったの。自分の大事な人たちを守るために強くなりたい、そんな思いで獅子王戦トーナメントに臨む零だったけれど、裏目に出て姉妹を傷つけてしまう。深い後悔と遣る瀬無さの中で、改めて「自分には将棋しかない」と遮二無二になって向き合う零は鬼気迫る強さすら見せてトーナメントを勝ち上がる。決勝では後藤九段と対局し、後藤の深い研究を破っての逆転勝ちを収めるわ。そのプロセスで、零は自分の愛する人たちと改めしっかりと向き合うことを自分に課し、終局の足で川本家に向かうの。傷つけてしまったことを詫びる彼を優しく出迎える姉妹は、零の感化を受けながら自分たちで「前に進む一手」を捻りだし平穏を取り戻していて。一方で敗れた後藤を待ち伏せした香子が「何で負けたかわかる?アタシを大切にしなかったからよ」と後藤に告げた後、二人は腕を組み後藤のマンションに吸い込まれていく。映画は、師匠に誂えてもらった和服を身に着け宗谷獅子王との対局に臨む零が着座したところで終了。

 

 いじめられた子を庇ったが為に、自分に矛先が向いてしまったひなた。彼女が涙ながらに「でも間違ったことをしていない」と叫んだ時に、同じくいじめを受けていた過去を引き摺る零は救われたのだ、とあかり(倉科カナ)に告げるシーンがあったわ。このときのあかりの、「ありがとう」と呟く瞬間に右の眦から溢れた涙が零れ落ちるシーンは素晴らしかったわね。なんて素敵な演技が出来る女優さんなのかしら、と思わされてしまった。最初に送った履歴書はフリーペーパーをちぎったもので、碌なモノではなかったというエピソードを持つ彼女。見出した人の眼は確かだったのね。

 獅子王トーナメント決勝を勝った足で川本家に出向いた零。ずっと暗いところで、一人で戦っていたという零の汗と涙に濡れる横顔が、川本家から漏れ出た暖かな光に包まれていくカットはそれだけで感涙。

 私は、対局中に妻が亡くなったことを知らされ、途中2時間の離席の間に病院を訪れ、妻の死に顔を見、ひとり慟哭した後再び勝負師として対局場に戻った後藤九段の男気にも、強い感銘を受けたのよ。零との決勝の終局時、勝ちながら泣く零を「泣くな。みっともない」と喝入れる声音は今までにないくらい優しく響いて、負けながら初めて劇中笑顔を見せた伊藤英明という俳優の演技の度量には、正直舌を巻いたわ。

 また、駒橋高校の零の担任・林田教諭(高橋一生)がいう、「結果は大事だ。だが人間、伝わるのは結果だけじゃない」というのは、結果至上の勝負の世界に生きる教え子に掛ける言葉としてこれ以上なく、沁みるわね。記録されるのは結果だけかもしれないけれど、そこに至るプロセスだって、ちゃんと誰かに記憶されるものよ。

 零を陰ながら支え続ける、といえば、島田八段(佐々木蔵之介)や二階堂四段(染谷将太)といった、面々の暖かい演技も然ることながら、俳優の技量が光ったといえば何と言っても家族を捨てた男を怪演した伊勢谷友介かしら。自分勝手とコンプレックスの端境に立ちながら相手を的確に怒らせる人柄なんて、怖いくらいに自然で素晴らしかったわね。

 

 零の子ども時代の回想シーンで、2015年に初版が刊行された飯島栄治の『相横歩取りのすべて』が積まれている、とか、棋士が指したにしては駒音が軽すぎる、だとか、みんな着手がとにかく早い、とか、そういう疵も確かに将棋映画としてはあるけれど、それ以上に群像映画としてひとつの完成形を我々は観ることになるのではないかしら。光の採り入れ方、水の使い方といった監督・大友啓史の計算され尽くしたカメラワークは必見。また、名優たちの表情筋と喉仏がとにかく動くところを、私は特によく観て欲しいと思ったわ。

 

 将棋というのは――将棋に限った話ではないかもしれないけれど――二人で行うゲームのはずなのに強くなればなるほど、一人で向き合う時間が長くなるものだ、と聞いたことがあるわ。そして、その時間が取れない者が強くなることはないのだ、とも。

 単なるボードゲームを超えて、民族の精神性すら象徴する深遠な伝統を誇らしく思える、そんな5時間だったと感じたから、この映画は本当に、将棋が好きになりたいあなたと、将棋を好きでいたいあなたにこそ薦めたい。ハッピーエンドより、過程を楽しみましょ。あなたにしか指せない将棋じんせいが、あるはずだから。