愛とは、全人生をかけてアイドルにチェスを教えること。

フリルドスクエアと行く、奥深いチェスの旅。

速水奏の映画メモ(『ボビー・フィッシャーを探して』)

喜多見柚「あっ、おはよう忍ちゃん。それは何ー?」

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藤忍「おはよう柚ちゃん。あぁ、これ。この女性誌、奏さんが映画コラムを持ってるヤツなんだけど、今回のテーマが『大人の魅力溢れる趣味・チェス』ってことで、奏さんもそれに寄せた映画を選んで論評してて。朝、駅の売店で買って来たんだー」

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柚「あー、そーゆーことか。後で、読み終わってからでいいからちょっと貸して……あー、でも、ちゃんと買った方が奏さんにはいいかナ……」

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速水奏の映画メモ

 妖艶な振る舞いとその美貌で今やカリスマ的存在になった、アイドル・速水奏。彼女が幾百もの映画を観て涵養してきた眼は信頼が置ける。鋭いセンスと年相応の可愛らしい感性を余すところなく筆に込め、彼女のお眼鏡にかなう映画を紹介してもらう本誌屈指の人気コーナー、『速水奏の映画メモ』。今回は本誌のテーマがチェスということもあり、彼女が選んだのはチェスを扱った有名な映画である。

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 私が今回選んだのは、『ボビー・フィッシャーを探して』。1993年の、アメリカの映画。20年以上前の映画だけど、今なお人の心を鷲掴みにするだけの力がある映画だと思うのね。本作は、『レナードの朝』や『シンドラーのリスト』の脚本を手がけたことで知られるスティーヴン・ザイリアンが、自らの脚本を監督した作品でもあり、彼の初監督の作品としても知られているわね。上映時間は110分と、イイ映画を観たい気分のときにはぴったりの長さじゃないかしら。

 各シーンにおいては光の採り入れ方にこだわりが見られ、優しいファインダー越しに切り取られた世界では、『タイタニック』や『この森で、天使はバスを降りた』、『ビューティフル・マインド』の音楽を手掛けたことでも有名な、ジェームズ・ホーナーの繊細な音楽が耳に安らぎを添えてくれるわ。古今東西の批評家も概ね好意的に受け入れている、たいへん評価の高い作品で、『感動する映画100選』にも選出されているのは納得の仕上がりね。

 でも、残念ながら私には感動を押し売りするなんて無粋な趣味はないの。私がこの映画を選んであなたに伝えたいことが、そんな安っぽいものだったらイヤでしょう?何を伝えたいかは、あなたが感じ取ってくれればいいの。ただでさえなかなか伝わりにくいことを、なんとか自分なりに伝えようとする、それが女の生き方じゃないかしら。

 

 まず、この作品のあらすじを述べるわね。感動の実話、なんて煽りだけで冷めちゃう人もいるかもしれないけれど……これは実話を基にした作品ね。チェスに天稟を示した少年が、チェスを通じながら両親や師匠、友人と関係することを通して成長して行く物語の形をとっているわ。主人公ジョシュを演じるは、マックス・ポメランクという当時子役だった俳優。彼の活躍を今スクリーンで観ようとするのはとても大変なのだけれど……この作品においては抜群の演技で魅せてくれる。何がすごいか、それはあなたの目で確かめて。私が言えることは、天才児の振る舞いそのものが見られる、という事実だけだからね。

 公園でアウトローな男たちが興じるチェスの野良ゲーム。それを眺めるうちにルールどころか勝負の機微すら呑みこんでしまった少年ジョシュを、母親は普通の子どもとして育てようとするけれど、父親はそうじゃなかったの。思うに、ジョシュの最初のファンはきっと彼だったのね。彼はその才能は伸ばすべきだし使うべきだと思い、1時間60ドルという大枚を叩いてコーチを雇って英才教育を施すわ。父親の期待に応えるべく、初めはジョシュもキッズの大会に出ては無双、負け知らずの天才児としてその名声を高めていくのね。ところが、全国大会に漕ぎつけるまでには、勝つことが当たり前の周りのプレッシャーに彼の繊細な心は押し潰されかけてしまう。

ジョシュ:もし僕が勝てば、みんなは「そりゃ勝つだろうさ。ヤツはいちばんのプレーヤーだよ」って言うだろう。でも、もし僕が負けたら……

父親:お前は、負けないよ、ジョシュ。

ジョシュ:……でも、もし負けたら?

父親:お前が負けるわけないさ!

ジョシュ:負けるかもしれないのが、怖いんだ。たぶん、一番なんかじゃない方が、いいんだよ。そしたら、負けたって大丈夫なのに。

 このシーンは胸に来るわね。いつからか、彼にとってチェスは純粋に楽しめるものじゃなくなってしまっているのが、とても寂しいわ。でも、ただ才能につけこんだだけならまだしも、最初のファンこそ彼の父親で、彼は心底ジョシュに惚れ込んでいると思えば、悪者の姿も見当たらなくて、とてももどかしい気持ちになる。このシーンのあと、予想通りとはいえ、ジョシュが大会で負けるところでは、隣で観ていた文香が嗚咽を洩らしたわ。

 この後、自分のプライドを砕かれたかのように落胆しながらも、「きっとあいつはスランプなんだ」と言い聞かせる父親に、母親が鋭く投げ掛ける一着も溜め息の出るような、慈愛に満ちた必見のシーンね。「あの子は負けることを怖がっているんじゃないの。あなたの愛情を失うのが怖いのよ」という、チェックメイト級のセリフを言う女優はジョアン・アレン。『ママが泣いた日』や『HACHI 約束の犬』でもその渋い安定感を見せつけた名優ね。彼女がここまで思い切った言葉を投げ掛けて、父親であるフレッドが逆上したりすることなく自省に踏み切ることが出来たのは、彼女が母親としてジョシュを思いやると共に、妻としてフレッドにも最大限の配慮をしていたからなのだと、そんな細やかで高いレベルの演技が光っていたと思うわ。この父親がまた、立派ね。彼はすぐに「スランプ」の原因が自分にあることを反省し、ジョシュと穏やかな家族としての関係を取り戻そうと努めていく。釣りに行き、ピクニックに誘い、「やめてもいいんだ。好きなようにしなさい」とジョシュに声を掛ける。その晴れやかな表情には、息子を思いやることを通して自分の虚栄心を満たそうとするような計算は欠片も見当たらなくて、ジョシュだけでなくフレッドもひとつ親として成長したのだと思い当たる屈指の名シーンだと私は思ったわ。この父親フレッドを演じているのはジョー・マンテーニャ。名を知らしめた『ゴッド・ファーザー』を筆頭に、マフィア物からコメディに至るまで演じる役柄は広く、また監督業や声優としても活躍するマルチな俳優よ。平時は気のいい人物なのだけど、締めるところではしっかり締める――そんな役をやらせたらピカイチだと思うわね。

 少年ジョシュは、チェスに勝ちたいなんて思ったことがなかったのだろうと、その澄んだ瞳の演技だけで思わせて来る。勝敗なんか彼にとって付属品でしかなく、チェスをすることだけが楽しかったのだと。それゆえ神は天賦の才を与え給うたのだと。歪めることなく成長させてあげられたのは、周囲の愛と理解の為せる業なのね。

 

 この映画は、良作を観て心を洗濯したくなったときに観るのもいいけれど、子どもとの向き合い方に思うところのある親として観ても、或いはこれから愛する伴侶とこの世で一番幸せな家庭を築こうという意気込みに溢れた二人で観ても、決して無意義な時間にはならないと思う。特に、天才という生物を理解するにあたっては本作はとても貴重で忌憚ない視線をあなたに授けてくれるはずよ。

 タイトルにもなっている、ボビー・フィッシャーというのも実在のチェスプレイヤーで、その存在は伝説になっているわ。輝かしい業績も、チェスに遺した偉大な足跡ももちろんのことだけれど、彼を語るうえで一番抜かせないのが彼の失踪ね。それは、当時のチェスプレイヤーの誰もの心に何らかの傷を残したと言っても過言じゃない。そのひとりこそ、ジョシュの父親フレッドだったのだと私は思う。だから彼は、ボビー・フィッシャーの幻影を息子の中に見て取り、ボビー・フィッシャーを探していたのでしょう。最後に気付くのは、各人は、誰にも代わりの利かない、かけがえない当人としてしか成長できない、っていうベタだけどとても素直なメッセージ。なぜかしら、観終わってみると一番最初に、あなたにとって最も大事な人の声が聴きたくなるはずよ。

 

 何か、大事なことを見失ってしまうことって、あるかもしれないと思わない?アイドルとは偶像、崇拝されてこそ最高に輝けるのかもしれない。その末席とはいえ名を連ねる私がいうのも躊躇われるのだけれど、いつしか自分ではなく才能だけが持て囃され、常勝将軍よろしく成果だけを求められる様になった世界というのは、当人の眼にはどれだけ生き辛い、荒廃した、寒々とした風景に映るのかしら。ふふっ……世界中の誰もがそうなったとしても、あなたは私を見てくれるのでしょう?

 最後は、ボビー・フィッシャーの言葉を引用して締めましょうか。

――「天才」。それは言葉だ。しかし実際には何を意味する?もし私が勝てば私は天才だ。もし勝てなければ私は違う。

 あなたにとって、チェスとは、才能とは、愛とは、何?