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愛とは、全人生をかけてアイドルにチェスを教えること。

フリルドスクエアと行く、奥深いチェスの旅。

第1回Blitzトーナメント第1回戦1,3局解説[東郷あいvs二宮飛鳥 / 和久井留美vs双葉杏](解説・アナスタシア / 聞き手・桃井あずき)

 

桃井あずき「やる気、元気、桃井あずき!」

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アナスタシア「ドーブラエ ウートラ!おはようございます。アーニャです」

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あずき「今日は、第1回Blitzトーナメントの第1回戦、1、3ゲームをアーニャさんに解説してもらうよ!聞き手はわたくし、桃井あずきがつとめまーすっ」

 

アナスタシア「よろしく、です」

 

あずき「よろしくお願いしまーす!1回戦の第2ゲームは忍ちゃんが自分の講座で取り上げてくれた、一ノ瀬vs喜多見戦だね!」

 

アナスタシア「今日は、第1ゲームの東郷vs二宮、第3ゲームの和久井vs双葉をお送りしますね」

 

あずき「まずは第1ゲームから、観ていこっか!同時更新の棋譜コメは、文香さんがつけてくれます」

 

・東郷あい v.s. 二宮飛鳥

あずき「こちらは、あいさん先手で、ルイ・ロペスになったねーっ」

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(Fig.1.1 : 1. e4 e5 2. Nf3 Nc6 3. Bb5 でオープニングはルイ・ロペスに。東郷と二宮は初手合い、それもそのはず、二宮は本ゲームが公式戦初参加となる。最近は速水について神崎と共にチェスを勉強しているというが、強豪・東郷相手にどこまで自分のチェスを見せられるか)

アナスタシア「研究がしやすい分、実力の出やすい戦型だと、思いますね。また、かなり先までラインが整理されているので、早指しにはもってこいだとも、思いますね」

 

あずき「感覚的には、定跡の整備のされ方とか、将棋の角換わりにちょっと近い位置づけかも?あずきは、前にプロ棋士の先生同士が1分切れ負けで角換わりを指しているのを観たことがあるよ!」

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(Fig.1.2 : 3. ... a6 4. Bxc6 dc 5. O-O Bd6 まで。後手二宮の選択は3手目a6でモーフィ・ディフェンス。対して白番東郷は即座にビショップを切る4. Bxc6を敢行して、エクスチェンジ・ヴァリエーションになった。5. 0-0は東郷の用意の作戦だろう。持ち時間が多い先手を活かした、熟練のプレイヤーの思想だ)

あずき「5. 0-0までは穂乃香ちゃんのルイ・ロペス講座2回目で拾われていたラインだねっ。ここで黒が5. ... Bd6と出て、穂乃香ちゃんが紹介している流れを外れたよ。アーニャさんはこれをどう見ます?」

 

アナスタシア「ンー。そうですね……4. ... dcと取り込んだことで黒はcファイルにダブルポーンを抱える羽目になりますが、逆にdファイルはセミ・オープンになりますね。なので、このファイルにキングサイドのビショップを展開して、相手のキングサイドを早々と睨みつつキャスリングに近づけるのはある手だと、思いますね。最近流行ってる感じします」

 

あずき「なるほどーっ。具体的にはどういう流れになるんでしょう?」

 

アナスタシア「そうですね……もう一つここに黒がビショップを置く狙いにもなりますが、この後白から6. d4と突く手が考えられます。センターを弱めつつ、黒のdファイルにポーンを再生させながら自分はクイーンファイルをセミ・オープンにするという狙いで、手順にクイーンを出るような手ですね。この時に、6. ... edと堂々相手の狙いに乗っかって取り込む手が、今出たビショップのダイアゴナルを通す手に、なっているんですね」

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(Fig.1.3 : 6. d4 ed 7. Qxd4 まで。手順にクイーンをセンターへと繰り出す先手。)

あずき「アーニャさんの言ったとおりの展開。主導権は白だねーっ」

 

アナスタシア「消費時間は白が30秒、黒が1分弱ですね。この7. Qxd4は黒のキャスリングを難しくする手です。キャスリングするためには黒はg8のナイトをどかさないといけませんが、7. ... Nf6と跳ねると次に8. e5がポーン・フォークになってしまいます」

 

あずき「これはニェットですねー」

 

アナスタシア「フフ……これはニェットです。しかし、7. ... Ne7は8. Qxg7と白のクイーンを呼び込んでまたニェット、ですね」

 

あずき「VTRからは飛鳥ちゃんが焦っているようなカンジが伝わってくるよ。小刻みに揺れながら考えているのか、エクステの先もピョンピョンしてるっ」

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(Fig.1.4 : 7. ... Ne7? 8. Qxg7 Ng6と進んだ。アナスタシアがニェットと述べた手だが、果たして。)

あずき「おぉ、跳ねましたね」

 

アナスタシア「……ナイト、跳ねましたね。確かに一見すると8手目Ng6で取られかけたh8のルークにも紐がついて、クイーンを閉じ込めたようにも見えますが、キングサイドにキャスリングできなくなった分白が指しやすくなりましたね」

 

あずき「と、いうことは、黒はこれからクイーンサイドのキャスリングを狙いながら駒組する、ということですかー?」

 

アナスタシア「ダー、もしくは、キャスリングせずに戦うか、ですね。ただ、Bg5と白からビショップを出る手があって黒は纏めづらい感じ、です」

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(Fig.1.5 : 9. Bg5 Qd7 10. Re1 Qe6 11. Nc3 c5? まで。キャスリングしたルークの活用を急ぐ、モダンな味付けの先手陣である。)

アナスタシア「アー、11手目c5の感触がメチャメチャ悪い、ですね。対してトーゴーの10. Re1は価値の高い手です」

 

あずき「これでRad1ともう一つのルークを呼んできて、センターから押しつぶそう、ってことですよねっ」

 

アナスタシア「ダー。ソビエト軍の誇る『殲滅の原則』、ですね」

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(Fig.1.6 : 12. Nd5 Kd7 13. Rad1 Kc6 14. Qc3 b5?と進んだ。桃井推奨の13. Rad1が指された。二宮はゆっくりと首を振っている)

あずき「13. Rad1の前にしっかりと12. Nd5を入れておくのがあいさんらしい、堅実な手ですねーっ」

 

アナスタシア「これで黒のクイーンの利きを停めておかないと、Rad1と回った瞬間にQxa2と先手はaファイルを破られてしまいます。するとピースが偏りすぎている先手は一気に怖い形になりますね。14. ... b5とついてしまうと、終局も、近いですね?」

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(Fig.1.7 : 15. Nd4+ cdにて二宮に自殺手が発生、手を戻して指し直しとなる)

アナスタシア「ハラショー!15. Nd4+は素敵なダブル・アタックですね!」

 

あずき「飛鳥ちゃん、焦ってますね」

 

アナスタシア「チェスでは、イリーガル・ムーブは故意・過失に関わらず認められませんね。なので、15. Nd4+の局面から指し直しになります」

 

あずき「これを取れるとみていたということは、Qc3の縦の利きを見逃してたんですかねーっ」

 

アナスタシア「ウッカリ、ですね。チェスの試合、緊張します。練習と実戦もまた違いますね?」

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(Fig.1.8 :  15. Nd4+ Kb7 16. Nxe6 Bxe6 17. e5 Nxe5 18. Rxe5 Bxe5 19. Qxe5 Rhc8と進む。黒の持ち時間はもう30秒を切っている。白は読み切っているのか的確にピースを減らしていく。)

あずき「15. Nd4+がクイーンとキングの両方に当たっているのが激痛だったね……」

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(Fig.1.9 : 20. Ne7! c6 21. Qxc5 Rc7 22. Be3 Kb8 23. Qb6+ Rb7 24. Bf4#と4手メイトに打ち取って、東郷が貫録の勝利をおさめた。)

 あずき「キングの退路を塞ぐ20. Ne7がプロブレムみたいな筋で好手だねーっ!」

 

アナスタシア「すぐにルークとエクスチェンジをするのではなく、出口を塞いでしまうために使うのは、上手ですね」

 

あずき「両対局者、おつかれさまでした。このゲームに勝ったあいさんは、2回戦で加蓮さんとのゲームに進むよ!そちらも注目のゲームだね!」

 

・和久井留美 v.s. 双葉杏

あずき「アーニャさんは、最近新しく冠番組を持たれたんですよねっ!」

 

アナスタシア「ダー。『星巡る物語』、ですね。面白い企画だと思います。チェスの世界のこと、この国ではまだあまり知られてない気がしますね。もっとみんなに、いろんな優れた人間のドラマを知ってほしいです」

 

あずき「あずきも毎回楽しく観てます!そうですねー、フィッシャーの壮絶な人生に触れたりすることは、日本では自分から探さないとない機会かもしれませんしねっ」

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(Fig.2.1 : 1. d3と白番和久井の突き出しでもってミーゼス・オープニングになった。両者は過去2度の対局があり、いずれも和久井が勝っている。黒番双葉は基本的にBlitzしかしないため『早指しの妖精』の異名があるが、この和久井のイレギュラーな作戦にどう立ち回るのか。)

あずき「これは珍しいですねーっ」

 

アナスタシア「電撃戦と呼ばれる早指しの作戦としては二つありますね。慣れ親しんだ形で時間を中終盤に残すトーゴーのような作戦と、このルミのように、相手の裏をかくような作戦を自分で研究してきて、ぶつけることでタイムアドバンテージを握ろうとする作戦、ですね」

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(Fig.2.2 : 1. ... d5 2. g3 e5 3. Bg2 c6 と進んだ。白の速攻フィアンケットに、黒がセンター・コントロールで応酬するというなかなか珍しい展開になっている)

あずき「なんていうか、ちょっと違和感のある序盤だねー……なんだろう、柚ちゃんと向かい合ってラーメン食べてるときに似てるかも……?」

 

アナスタシア「ユズ、左利きですね。アーニャは、ユズとご飯食べるときは左でお箸もちます」

 

あずき「そうそう!利き手が反対の人と向かい合ってご飯食べてるときに感じるような、そんな感じ!」

 

アナスタシア「黒がセンターコントロールして、白がそれを受けながら低い陣形を組んでいるから、ですね。普段と逆なカンジです」

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(Fig.2.3 : 4. Nc3 Be6 5. e4 de 6. Nxe4の進行。7. Ne2~いずれNd4に出てセンターの制海権を取り返したいがどうか。)

アナスタシア「これはルミ、しくじりましたね……」

 

あずき「えぇ?!まだ互角でしょー!」

 

アナスタシア「このゲームは、どこまでいっても互角で終わるかもしれませんね」

 

あずき「あ……そっか!それが杏さんの狙いってことなんだ!」

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(Fig.2.4 : 6. ... Nf6 7. Ne2 Nxe4 8. Bxe4 Bd5。双葉は珍しく30秒ほど小考し、ナイト・エクスチェンジを狙う6手目Nf6を着手した。)

あずき「ナイト・エクスチェンジからビショップをぶつけましたかーっ……」

 

アナスタシア「ここはゲームの大勢の分水嶺、ですね。まだ黒から寄せ合いに持ち込むこともできる局面です」

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(Fig.2.5 : 9. 0-0 Bxe4 10. de Qxd1と進んで、ここで双葉の狙いがはっきりした。エクスチェンジを強いてドローに持ち込むつもりである。)

あずき「これは、手順自体は相当激しいですけどどうですか?」

 

アナスタシア「強制エクスチェンジの連続で、ドローに持ち込むつもりですね。ここまで杏は、一度考え込んだのを除けばすべてノータイムで指してますから、ルミの奇襲じみたミーゼス・オープニングに対するアンズのアンサーの一つがこれ、ですね」

 

あずき「ナイトが相討ちし、ビショップが斬り合い、クイーンが今手をつないでボードを去ろうとしているよ!」

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(Fig.2.6 : 11. Rxd1 Na6 12. Be3 Bc5 13. Bxc5 Nxc5。是が非でも局面を落ち着かせない双葉の指し回し。糖分補給だろうか、飴玉を噛み砕く音が聞こえてくる。)

アナスタシア「ここまでやられてしまうと、完全に白の作戦負けというか、キャスリング損にすら見えてきますね。チェスは奥が深いです」

 

あずき「そっか、キングが第7ランクに移動すればキャスリングをしなくてもフルオープンになったdファイルでルークをぶつけられるってことで、結果的に黒が手得してるんだね。ナイト、ビショップ、クイーンと相手の攻撃ピースを奪ってるし、キャスリングをする必要もないから……」

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(Fig.2.7 : 14. f3 Ke7 15. Kf2 Rhd8 16. Ke3 Rxd1 17. Rxd1 Rd8 18. Rxd8 Kxd8。何とかして手を作ろうとする先手だが、それを黒が絶対に許さない。)

あずき「f3は何とかして手を作りたいという和久井さんのお願いですか」

 

アナスタシア「そうですね。この局面、『手を作ろう』と思って読むのはとても難しい。でも、『相手の手に適切に返して、ドローにしよう』と思って読むのは、ピースが少なくてかなりやりやすいはずですね」

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(Fig.2.8 : 19. Nc1 Ke7 20. Nd3 Nxd3 21. Kxd3 1/2-1/2。ここでドローが成立。本トーナメントはドローでも黒の勝利となるアルマゲドン方式が採用されているので、これで手合いは双葉の1勝2敗となった。勝った双葉は2回戦で速水奏と対戦する。)

あずき「うわー、お疲れ様でした。和久井さんがすごく悄然としてますね」

 

アナスタシア「お互い、使用した時間が1分強ですね。ルミは、完全に自分の作戦ミスを悔いているのでしょう」

 

あずき「しかし、杏さんはこれだけの数のエクスチェンジ手順をあの短時間で読むのだから、真っ向からミーゼスを受けて立ってもよかったんじゃないですかねっ」

 

アナスタシア「たぶん、それをやるには飴玉が足りなかったのですね」

 

あずき「なるほどー。勝った杏さんは、2回戦で奏さんと対戦だよ、これは楽しみだねーっ」

 

アナスタシア「そうですね。アーニャも、いろんなゲームが見られるのでこういうイベント、大好きです!」

 

あずき「それでは、今日は1回戦から2ゲーム、解説してもらいました。聞き手は桃井あずきでした」

 

アナスタシア「解説は、アーニャ、アナスタシアでした。またお会いしましょう」

 

あずき「アリーヴェデルチ~♪」

 

アナスタシア「アズキ、それはロシア語じゃないですね」

 

(続く)

 

東郷あい・和久井留美の名局解説その3[第1回事務所内Blitzトーナメント第2回戦・塩見周子 v.s. 八神マキノ]

 

東郷あい「やぁみんな、ひさしぶり。東郷あいだ」

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和久井留美「和久井留美よ。今日の解説会では解説を務めるわ」

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あい「私が聞き手だね。今日はよろしく、留美さん」

 

留美「えぇ、こちらこそ。あいさんとチェスのお仕事をするのはこれが初めてかしら」

 

あい「そうだね。事務所ではちょくちょく若い子たちに教えたりしてたんだけどね」

 

留美「さて、今日は今行われるトーナメント、第2回戦の1ゲームね」

 

あい「2回戦シードは柚くんと遊佐くんだけだね。最初のゲームが、今日の塩見周子ー八神マキノ戦というわけだ」

 

留美「あいさんは残ってたわね。私は杏ちゃんにうまくやられちゃった。少し悔しかったわ……」

 

あい「あそこはなかなか面白い、華々しい激戦だったからね。それに、ゲームとしてはドローだったじゃないか」

 

留美「それでも、白をもって時間があって詰められなかったのはやっぱり私の落ち度よ……ぜひ杏ちゃんには頑張ってもらわないと」

 

あい「そうだね。では、今日は忌憚ない意見をお願いしようか」

 

留美「1回戦敗退の私が、2回戦を控える貴女を聞き手に解説するのもなんだかおかしな話だけれど……」

 

あい「まぁ、クジはクジさ。それに、実際のレーティングだとまだ留美さんの方が上じゃないか」

 

留美「そうかしら……最近なかなか時間が取れなくて。って、そんな言い訳をしているうちに若い子たちに追い抜かれるわね」

 

あい「ちなみに、今回のゲームはすべて電撃戦なので、今日の解説は、午前中に行われた試合のVTRを元にしながらやっていくよ。ちなみに結果は私たちも知らない」

 

留美「初手からの進みは……まず周子ちゃんの1. Nf3が気になるわね」

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(Figure.1 : 1. Nf3 まで)

あい「これは……レティ・オープニングか。早指し戦なのを考えると、作戦だろうね」

 

留美「でしょうね。周子ちゃんは少し独特なチェスをするイメージがあるわ」

 

あい「ここから後手の八神君は1. ... d5と受け、2. c4 e6と」

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(Fig.2 : Fig.1 ~ 1. ... d5 2. c4 e6 まで)

留美「マキノちゃんは周子ちゃんの初手に少し眉を顰めただけですぐdポーンを突いたみたいね。そして、ここで1. c4 e6と進めるEnglish OpeningのAgincourt Defenseから2. Nf3 d5と進めたラインに合流したわ」

 

あい「彼女は相当な研究家だよ。頭が下がる」

 

留美「最近では、穂乃香ちゃんがマキノちゃんとよく一緒に研究をしているイメージね。彼女は、勝負というよりチェスを最善解があるゲームとして見ている感じがあるわ」

 

あい「レティ・オープニングを見せ、d5にはイングリッシュ・オープニングに、d5以外には別の作戦に、ということか。流石塩見君は、1回戦で最近上り調子だった工藤君を沈めているだけあるな」

 

留美「ここからは殆どノータイムで駒組みね。玄人の呼吸だわ」

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(Fig.3 : Fig.2 ~ 3. b3 Nf6 4. Bb2 Be7 5. g3 O-O 6. Bg2 b6 まで)

留美「あら、イングリッシュ・オープニングからキャスリングを先送りに、ダブル・フィアンケットを作る最新の形ね」

 

あい「私は一昨日似たオープニングを観たばかりだ。この辺りの駒組みは本当に洗練されてきたね。ソフトの力も大きいのだろう」

 

留美「そうね。対するマキノちゃんもソフト研究の第一人者よね。この白黒の駒組みは最新の組み方と思っていいわ」

 

あい「ところで、次の白の手はなんだろう。留美さん、1杯賭けてみないか」

 

留美「いいわよ。じゃあ、せーのでいいましょう。せーの」

 

あい「8. e3だろう」 留美キャスリングよ」

 

留美「あら、わかれたわね」

 

あい「なるほど、ここで先送ってきたキャスリングか……して正解は……?」

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(Fig.4 : Fig.3 ~ 7. 0-0 Bb7 8. e3 c5 まで)

あい「そっちだったか。流石だ」

 

留美「ふふ。これで一杯ね」

 

あい「盤面が騒がしくなってきたね。ここからは留美さんはどう見る?」

 

留美「そうね。9. Nc3 dc 10. bc Nc6 11. Qe2に11. ... Rc8はどうかしら。先手には12. Rfd1 Qc7 13. Rac1 a6 14. Ba1の狙いがあるけれど

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あい「ここで、11. ... Rc8とルークを使うってことだね。進めてこう」

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留美「攻められにくい端にビショップを配置して、なかなか良さそうだと思うのだけどどうかしら。ここまで二人ともほとんど5秒以内に指しているから、そろそろピース・エクスチェンジが起こりそうなのだけれど」

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(Fig.5 : Fig.4 ~ 9. Nc3 dc 10. bc Nc6 11. Qe2 Qc7 まで)

あい「さきに11. ... Qc7とクイーンを上がったね」

 

留美「なるほど、どうするのかしらね。これもノータイムということは、マキノちゃんは研究の用意があるってことなのでしょうけど……」

 

あい「先を少し見てみようか」

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(Fig.6 : Fig.5 ~ 12. Rfd1 Rac8 13. Rab1 Rfd8 まで)

留美「黒の組み方はこちらの方が速いのね。そして、ビショップがBa1と引く暇がないから、先ほどの順のように白にcファイルにルークを使わせるより、bファイルでビショップを支えさせて、ナイトの引場を奪いながら駒組みを牽制しているってことなのね」

 

あい「これも最近はやっているような形になったけれど、細かい工夫が見られたね。最近は、キャスリングしたルークを直ちに使う様な展開が増えてきた気がするよ」

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(Fig.7 : Fig.6 ~ 14. d3 h6 15. Nb5 Qb8 16. h4 Rd7 まで)

留美「そうね、白としてはNc3のナイトを抑え込まれる前に使いたいところよね」

 

あい「黒の14手目h6には感心だね。八神君は純粋な計算に基づいて、『手を戻す』とかではなく、自然な流れの中で受けの手を指しているようだ」

 

留美「左辺から早い攻めがないからね。そして、Rc8と回っているから攻められたクイーンをQb8と引くことが出来て、この斜めを活かしてh6を突き出し、白にh4と突いてくるのを誘っているのね。自分のキングの周辺を広げていると共に、終盤、端のファイルに斜め駒が飛び込むような筋が出来ているわ」

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(Fig.8 :  Fig.7 ~ 17. d4 cd 18. ed Rcd8 19. a4 a6 まで)

あい「白の19手目は欲張ったなぁ」

 

留美「スペース・アドバンテージを主張する先手と、18. ... Rcd8とルークのバッテリーを組んでピースの効率を主張する後手ってところね。棋風で評価が分かれそうだわ」

 

あい「そうだね」

 

あい「私は先手持ちだ」留美「後手を持って指してみたいわね」

 

留美「あら?」

 

あい「なんと」

 

留美「難しいところよね。いいじゃない。このゲームをつまみに一杯……なんて」

 

あい「望むところだね」

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(Fig.9 : Fig.8 ~ 20. Nc3 Qc7 まで)

留美「……マキノちゃんは本当にシビアな計算をするコね」

 

あい「これはなかなか指し辛い手だが……20. Nc3は先ほどいたマスにナイトを引かせて手得なわけだが、ここでその手得を使って自分も先ほどまでクイーンがいたマスへ20. ... Qc7と小考の後出たんだね」

 

留美「これで手の損得はゼロ、そして攻め駒になったナイトを引かせながら第7ランクに今度はクイーンとルークのバッテリーを強いて、強固な受けを用意する、と。したたかね」

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(Fig.10 : Fig.9 ~ 21. d5 ed 22. cd Nxd5 23. Nxd5 Rxd5 24. Rxd5 Rxd5 まで)

あい「おかしいな……こうc,d,eファイルを吹き飛ばされてみると、黒の駒効率だけがよく見えてきたよ」

 

留美「これは……恐ろしいわね。そして、まだ黒には爆弾があるわ。Bb7を使ってないように見えて、これ今度はダイアゴナルの障害になっているピースがさばけた瞬間に白のBg2を狙う気の磁気機雷のようなビショップよ」

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(Fig.11 : Fig.10 ~ 25. Re1 Bb4 26. Qe8+ Bf8 まで)

あい「これは塩見君、誘われたな」

 

留美「そうねぇ……26. Qe8+と、敵陣深く潜ってクイーン・チェックが掛かるこの状況、かけないプレイヤーの方が少なそうだけど……25. Bb4は放置すればe1のルークとエクスチェンジする局面が白に良さそうだからね」

 

あい「ちなみに、26. Qe8+をBf8と引く以外ではダメだろうか、留美さん。大盤で説明してもらってもいいかな」

 

留美「えぇ。これは、26. ... Kh7と逃げる手には27.Ng5+が入って、以下27. ... Rxg5  28. hg Nd4 29.Be4+ Bxe4 30.Qxe4+ Kg8と先手からの攻めが振り解けなくなるわね」

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あい「これは後手を持って纏めづらいな。なるほど、引くしかないといわけだね」

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(Fig.12 : Fig.11 ~ 27. Be5 Nxe5 28. Nxe5 Rd2 29. Bxb7 Qxb7 まで)

あい「クイーンを自分のキングにギリギリまで引きつけることでその駒の働きを弱め、逆に他のところで優勢を積み上げていく……」

 

留美「こういうチェスを指す子だったのね、マキノちゃん。よくプロブレムを解いたり作ったり、またソフトと研究や穂乃香ちゃんと先例の研究をしているのは知っていたけれど、指すゲームを観たのは私もこれが初めて」

 

あい「29. Bxb7は切らされたね」

 

留美「でしょう?」

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(Fig.13 : Fig.12 ~ 30. Nc6 Rd7 31. Nb4 a5 32. Nc2 h5 まで)

あい「両端をぶつけて、この局面から白の選択肢を奪うのか、辛いね」

 

留美「そして最後の32. ... h5は、hファイルからキングが脱走する逃走経路を潰しているのよ」

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(Fig.14 : Fig.13 ~ 33. Rb1 Qc7 34. Re1 Rd8 35. Qe2 g6 まで)

留美「この35. ... g6は抜かりないわね」

 

あい「hポーンをクイーンで掠め取られないように紐を付けながらキングを広げた価値の高い手だ」

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(Fig.15 : Fig.14 ~ 36. Rd1 Rxd1+ 37. Qxd1 Bc5 38. Qf3 Qd7 39. Qb3 Qd1+ まで)

留美「このチェック、いかにも詰み筋があるわ」

 

あい「心なしか塩見君の顔色も悪いね」

 

留美「ちょっと詰み筋読みましょうか」

 

あい「まず40. Ne1だが、これは40. ... Qxe1+ 41.Kg2 Qxf2+ 42.Kh3 Qf1+ 43.Kh2 Qg1+ 44.Kh3 Qh1#までの#4か」

 

留美「そうね。次に40. Kh2かしら……」

 

あい「これも詰みそうだが……どうだろう、詰ませられるのか」

 

留美「……こっちはもっとすごいわ。40.Kh2 Bxf2 41.Kg2 Qg1+ 42.Kf3 Qxg3+ 43.Ke2 Qxb3 44.Na1 Qb2+ 45.Kd3 Qxa1 46.Kc4 Qxa4+ 47.Kd3 Bd4 48.Ke4 Qc4 49.Kf3 Qd3+ 50.Kg2 Qe2+ 51.Kg3 Be5+ 52.Kh3 Qf1#の詰みがある」

 

あい「これで八神君はあと1分半ほど残しているのか。時間は拮抗してきているから、黒が優勢だろうな……」

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(Fig.16 : Fig.15 ~ 40. Kg2 b5 41. ab Qd2 42. Ne3 a4 まで)

留美「このポーン・サクリファイスは取れないわね。取ると、クイーンの利きが第3ランクから消えて、次に42. Qxa4 Bxe3と入られて即死よ」

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(Fig. 17 : Fig.16 ~ 43. Qc2 Bxe3 44. Qc8+ Kh7 45. Kh3 まで)

留美「ここで1分ほどマキノちゃんが読んでいるのが怖いわね。時間がない中で、悪いとはいえ周子ちゃんの応接もとても精確よ」

 

あい「これはメイトを読み切っているのだろうね……どうだ?45. ... Qxf2から行くのだろうけれど……」

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(Fig.18 : Fig.17 ~ 45. ... Qxf2 46. Qb7 a3 47. Qg2 a2 48. Qxf2 Bxf2 まで)

留美「aポーンが速いわね。もう間違えないでしょうね」

 

あい「しかし、チェスは最期まで、絶望の先に絶望しかないことを知る最後の審判まで、足掻き続けねばならない人間のゲームだからね」

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(Fig.19 : Fig.18 ~ 49. Kg2 Bb6 50. Kf1 a1=Q+ 51. Ke2 Qb2+ 52. Kd3 Kh6 まで)

あい「そして30秒ほど残して読み切った八神君、疾風迅雷の早指しで塩見キングを寄せていくね」

 

留美52. ... Kh6はステイルメイトすら読み切ったということなのかしら……これは勝った方も消耗する勝ち方だわ……それにしても45手目からMate in 11読み切りかぁ……序盤の読み落としで負けた自分がいやになるわね……」

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(Fig.20 : Fig.19 ~ 53. g4 hg 54. h5 Kxh5 55. Kc4 Qc2+ 56. Kb4 Bc5+ 57. Ka5 Qa2#)

あい「これで後手の完勝、となったわけだが……」

 

留美「え?ゲーム後の勝利者インタビューがある?」

 

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川島瑞樹「実戦はほとんど指さない、とのことですが、緊張はしましたか?」

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八神マキノ「緊張は特にしなかったわ。しても無意味だし……」

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瑞樹「本局の感想をお願いします」

 

マキノ「45手目からは実は45.Kh3 Qxf2 46. Qa8 a3 47.Qg2 a2 48.Qxf2 Bxf2 49.Kg2 Bc5 50.Kf3 a1=Q 51.Ke2 Qc3 52.b6 Qc2+ 53.Ke1 Be3 54.g4 Qf2+ 55.Kd1 Qd2#の早詰みがあったみたい。読み切れないなんて私もまだまだね。チェスは奥が深いわ」

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あい「ねぇ、留美さん。この部屋少し冷房が強くないかな」

 

留美「あら、私もそう思ったのだけど、クーラーついてないみたいなのよ」

 

あい「いやぁ、2回戦でこんな名ゲームが見られるとは思いもしなかった。私も身が引き締まる思いだよ」

 

留美「そうね。彼女は次桃井ーアナスタシア戦の勝者と準々決勝ね。これも見物になるわ」

 

あい「そうだね。トーナメントの行方はどうなるのか、まだまだ目が離せないようだ。本日のお相手は聞き手・東郷あいと」

 

留美「解説・和久井留美でお送りしました」

 

あい「また会おう」

 

留美「さぁ、呑みに行くわよ」

 

(続く)

工藤忍の実戦チェスチャレンジ![第1回事務所内Blitzトーナメント1回戦:一ノ瀬志希ー喜多見柚 / 遊佐こずえー神崎蘭子]

 

 こんばんは。工藤忍です。

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 実は今、アタシの事務所ではこんな企画が開かれていて……

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 今日、第1回戦の結果が出そろったんだけど、その中でもなかなか見どころがあった2局を今日は紹介したいと思うんだ。よろしくね。

 このトーナメントは全局ブリッツ、アルマゲドン方式だよ。

 ……つまり、黒のプレイヤーの持ち時間3分、更に1手ごとに2秒加算、という早指し戦。マッチングは全部厳正な抽選に基づいて組まれてるんだって。

 それで、アルマゲドン方式、っていうのは、ドローでも黒が勝ちにする、というルールのことで、これは代わりに白の持ち時間が長く設定されるんだ。今回は白は5分だね。

 

 まずはこのゲームから紹介するね。

・遊佐こずえ v.s. 神崎蘭子

 白番がこずえちゃん、黒番が蘭子ちゃんだね。
1. e4 b6

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 これは、オーウェン・ディフェンスと呼ばれるいきなり変わった出だしになったよ。ちなみに、蘭子ちゃんは2分待ってこの手を指した瞬間『翼を広げ、飛び立つわ!』って叫んでたとか叫んでないとか。

 観ての通り、速攻でフィアンケットを狙うんだね。しかも、クイーンサイドでフィアンケットしようとしているのがポイントで、ロングサイド・キャスリングの含みが出るってことらしいんだけど……。あ、この解説は穂乃香ちゃんに聞いたんだけどね。

2. d4 Bb7

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 白がセンターコントロールしているのに対して、黒はフィアンケットを済ませて主張がある様に見えるんだけど、感触的にはこの時点でもうポーン1個分くらい差がついて白が優勢、って加蓮さんもアーニャさんも言うし、やっぱり黒を持って指せる気がしないという感じかなぁ。

3. Bd3 f5

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 こずえちゃんのBd3は価値が高いね。これで間接的なビショップペアが組まれている、というのもあるし、eファイルを支えながらキャスリングに近づける、セオリー通りの展開だと思うな。誰に習ったんだろうね……?

 

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遊佐こずえ「ちぇすー……?いいよぉー……こずえも……やるぅー。ちぇすやるぅー」

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 っていうから、よくフレデリカさんのチェスとか観てるし、ってちひろさんがトーナメント組んじゃったんだよ。ダークホースだなぁって思ってみんな気になってこのゲームを観てたんだけどね、びっくりしたなぁ。

 蘭子ちゃんのf5は、多分efの取り込みにBg2を用意したポーン・サクリファイスのつもりだと思うんだけど……っていうか実戦もそうなったしね。

4. ef Bg2

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 これ、チェスをお勉強し始めた頃に、いきなり見たらちょっと慌てるかもしれないなぁって思って。だから、取り上げてもおもしろいゲームだなぁって思ったんだ。h1のルークが助からなそうに見えるんだけど、というか助かるのかなこれ。まぁいいや。

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5. Qh5+

 このクイーンを出る手がチェックで入って、これをキングが回避して受けられない、っていうのがポイントなんだ。って、ここまで二人ともほとんど時間使ってなかったんだけど、ここで蘭子ちゃんの手が流石に停まったね。

5. ... g6 6. fg Nf6

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 まぁ5. Qh5+と出られると、g6としか指せないからねぇ……。白はノータイムで取り込んで、ここでクイーンを取りに跳ねた6. ... Nf6が結局は黒の寿命を縮めたんだけど。

7. gh+ Nh5 8. Bg6# 1-0

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 このビショップが出るチェックを塞ぐ手が黒にはないんだよね。末恐ろしい子……。というわけで、2回戦に一番乗りしたのは実は一番のダークホース、こずえちゃんだったっていう話。彼女の底力がわからないから、戦ってみたいような、みたくないような?

 

 つづいてはこちら!

一ノ瀬志希 v.s. 喜多見柚

 こちらは、柚ちゃんの黒番だね。志希さんがちゃんとチェスゲームをやるのを観るのもなんだかんだみんな初めてだったから、事務所のみんなも気になっている試合のひとつだったみたい。

1. h3 

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 初手はなんと志希さんの1. h3。これはなかなか斬新な感覚だなぁって。チェスは将棋と違って、終盤になればなるほどピースが減って行くから、これを咎めないで何となく均衡したエンディングまで持って行かれちゃうと、最後に端ファイルのスペース・アドバンテージが活きるような展開は最悪なんだよね。これを早指し戦で柚ちゃんが咎め切れるか、これがこのゲームのテーマだとみんなが思った瞬間だったはず。

1. ... e5 2. g4 Nc6 3. Bg2 Nge7

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 柚ちゃんはこれを咎めに行くことにしたみたいだね。志希さんは1ムーブに15秒~20秒くらい、柚ちゃんは5~10秒で着手して、っていう感じが続くよ。もう定跡なんてものが存在しない、わくわくするような局面だね。点数で評価すれば、黒の方が指しやすいのかもしれない。でも、それを人間が精確に指し熟すのはまた別の話だから、チェスは奥が深いんだなぁってアタシ思うんだ。

 3. ... Nge7は、キングサイドに圧力をかけて潰しに行きたい黒としては遠回りになる手に見えて、実は次にNg6と跳ねるのを狙っているっていう手だよ。

 志希さんは、初手で端を突いて、次にフィアンケットを狙いながら突き出すg4がポーン・チェーンに、そしてe3をいったん突いてナイトを跳ねることで、クイーンのダイアゴナルを通しながらキャスリングを狙ったんだね。やっぱり左辺の立ち遅れが気になる気がするんだけど、なかなか難しいね。

4. e3 d5 5. Ne2 Ng6

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 柚ちゃんは直ぐにNg6を跳ねないで、いったんセンターに手を入れるd5を突いてから跳ねたんだね。なんか、柚ちゃんには定跡とか手筋とかに縛られない、天性のバランス感覚があるんじゃないかな、って思うんだ。

6. O-O h5 7. gh Rxh5 8. Ng3 Rxh3 9. Bxh3 Bxh3

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 キャスリングをした瞬間にh5と突くのは黒の権利だから、志希さんもこれは読んでたと思うんだけど、まさかd5でc8のビショップの利きを通して、Rxh5に対して8. Ng3と跳ねたナイトがルークに当たっている局面で、ルークを8. ... Rxh3とエクスチェンジに使って攻めが切れなくする、っていうのまで読んでたとなると、案外じっくりしているゲームの方が得意なように見えて、早指しの感覚も冴えてるんだなぁって。

 ここで白の手が難しいね。いつの間にか、手を作りづらいのは白の方になってる。

10. d3 Qf6 11. Nd2 O-O-O

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 10. d3~11. Nd2は手の作りにくい先手から動く苦肉の策、って感じだね。対して、クイーンを展開した後の柚ちゃんは少し時間を使ってからキャスリングしたよ。しかも、先手の駒が立ち遅れている方にキャスリングすることで、自分の危険を先んじて失くしておこうってことなんだね。

12. b3 Bb4 13. Qf3 Qe6

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 b3と突いたのは、c4から先手がポーンを清算しつつ左辺のピースが手順に展開できる順を作る為、だったみたいだね。対してBb4でナイトに当て、13. Qf3とクイーンをぶつける手には躱しながらd5のポーンを補強して、完封を狙う指し回し。

14. c4 dc 15. bc Rxd3 16. Qe2 Bxf1

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 まさか、小考してからクイーンサイドにキャスリングしたのは、先手が無理してc4から打開してきたときに、dファイルにルークを置いておけば、ポーン・エクスチェンジでオープンになったdファイルでは手順にルークが攻め駒になるって読んでいたとでもいうの!黒のd2にいるナイトに2つピースが当たっているから、白はルークに当てながらQe2と引くけれど、この瞬間にBxf1とビショップを切ることで、d3に走ってきたルークが抜かれないようになってるんだ……!

17. Ndxf1 Nh4 18. Qxd3 Nf3+ 19. Kg2 Ne1+ 0-1

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 そして、Qxd3までに1手の余裕を手にした黒はNh4と端にナイトを跳ぶ。通常、端のファイルにいるナイトって言うのは働きが悪いから、そのような手は避けるべきだけど……。

 今回は18. Qxd3の取り込みに18. ... Nf3+~19. ... Ne1+と手順にチェックで迫る手が、d3までクイーンを呼んだせいでダブルアタックになってるんだって。もうこんなの早指しで読めないよって感じだよね。ここで志希さんが大笑いしてキングを倒したよ。柚ちゃんの完全試合、って言ってもいいくらいのゲームだったね。びっくりした。

 因みに、18. ... Nf3+に19. Kh1と逃げるのは、19. ... Qh3+ 20. Nh2 Qxh2#の#2になるから、この19. ... Ne1+まで一直線ってことで……。

 

 なかなか面白い幕開けになった第1回ブリッツ・トーナメント、第1回戦が終わった結果はこんな感じになってるよ。

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 何と言っても気になるのは、ブリッツでの異常な強さを誇る加蓮さんの実戦だよね!それから、今回は文香さんが参加しているのも気になるなぁ。アタシ?アタシはねー……惜しかったんだけど周子さんに負けちゃって。周子さんとマキノさんの戦いも、だからアタシとしては気になるなぁって。自分を負かした相手は最高の教科書!ってね。

 トーナメントの行方はどうなるのか、目が離せないよね!工藤忍でした。

 

(続く)

鷺沢文香の名局漫ろ歩き その1[Boris Spassky v.s. David Bronstein, 1960, USSR ChampionShip]

 

ワタシダケニソノメロディ♪

鷺沢文香「……はい。鷺沢です」

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速水奏『もしもし、文香?いま、大丈夫?』

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文香「……はい、ちょうど今、本が読み終わったところで」

 

奏『ちょうどよかったわ。たぶん、今日のフリスク生放送の枠を埋められるのが事務所に文香しかいないうえで言うんだけど、あのn』

 

文香「……え?は、はぁ……?」

 

奏『私がこの前、『007 ロシアより愛をこめて』の映画評を記事にしたじゃない?いつものように、文香にコラム紹介文を書いて貰って』

 

文香「……えぇ、それがどうs」

 

奏『で、何かこういう事態の為に用意してたら別の良いのだけれど、そうじゃなかったら、あの映画で出て来たゲームの紹介をして貰えないかって思ってね、じゃよろしく~』

 

文香「……ちょっt」

 

文香「……」

 

コンコン

P「あぁ、ここにいらしたのですね、鷺沢さん。実は、突然で申し訳ないのですが……」

 

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 ……えぇと、すいません。

 今日は急遽、代打ということで、私がお送りしますね。……え、『鷺沢文香の名局漫ろ歩き』……ですか?……ここのスタッフさんたちは、スケジュール管理は杜撰で頻繁に代打を呼ぶのに、こういうところは本当に仕事が早くて尊敬します……

 

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いや~、照れますね///

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 ……まぁ、いいです。私は、杏さんの様に臨機応変にその場でテーマを決めて喋る、ですとか、志希さんの様に専門性の高いトークを軽妙に、噛み砕いて伝える、といったことは出来そうもないので……今日はとある名ゲームを紹介しようと思います。

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 ……みなさんの前で、ゲームを解説するのは、ゴールデンウィークの大盤解説会以来、ですね。早いですね。近々また、大きなイベントがあるみたいな話も耳にしましたが……はて。

 

 今日紹介するのは、1960年、スパスキーとブロンスタインの名ゲームです。短手数ですが、とても見ごたえがあるので、お付き合いください。

 ……このゲームは、1963年の映画・『007 ロシアより愛をこめて』の冒頭のシーンにエンディングの2手が使われていることでも知られていますね。

 

 スパスキーの先手で始まりましたこのゲーム、初手からは1. e4 e5 2. f4 efと進んでキングズ・ギャンビット・アクセプテッドですね。

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(1. e4 e5 2. f4 ef まで)

 ここからスパスキーは3. Nf3と繰り出してキングズ・ナイト・ギャンビットですか。右のナイトを早くに活用できれば、キングサイド・キャスリングの選択肢が出来るので、お手本通りの一着ですね。対するブロンスタインの3. ... d5が少し面白い手です。

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(3. Nf3 d5 まで)

 黒の3手目d5は、4. ed以外では白が形勢を損ねます。つまり、実質的に白の次の指し手を縛っているんですね。代えて3. d6, g5, Be7やNf6も一考あると思います。この3手目d5でモダン・ディフェンスと呼ばれるラインに入ります。4.edと取り込ませた局面では黒のビショップがどちらも展開できるのは注目ですね。また、すぐ取り込むことも出来るこのポーンを敢えてdファイルに遺すことで、白のクイーンが自分のピースに二重に止められてしまう、というのも細かいながら見ておきたい場面です。

 ここから当然スパスキーの取り込む4. ed4. ... Bd6とブロンスタインが出ます。5. Nc3 Ne7とナイトの活用を図ったところでは、黒がやや指しやすそうですね。キャスリングもありますし、e4の最前線のポーンには黒マスビショップの応援がつきました。……私なら、5. Nc3は指しません。

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(4. ed Bd6 5. Nc3 Ne7 まで)

 ここからまず白は6. d4を突きたいですね。取り敢えず黒マスビショップの為にdポーンは突きたいのですが、キャスリングの権利を手にしつつBd3と出る筋があるので、突くならd4でしょう。対して6. ... 0-0キャスリングするのが落ち着いた手だと思います。俗手は好手、と言いますし。

 7. Bd3 Nd7とお互いマイナーピースをセンターに使った局面は互角でしょうか。……逆に言うと、黒が上手くやれている、と言うことでもあると思います。

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(6. d4 0-0 7. Bd3 Nd7 まで)

 ここで、黒のNe7はNd/f5~Ne3と二回の跳躍で、キャスリングした白のRf1と、初期位置のQd1へナイト・フォークを仕掛ける順が目につきます。もちろん、これはBxe3 feのエクスチェンジ狙いで、このフォーク自体が実行力がある訳ではありませんが……。しかしながら、白はキャスリングを済ませないと黒がRe8~Nd5+を狙って来る筋に常におびえ続けねばなりませんね。

 なので、8. 0-0キャスリングは入れておきます。対してブロンステインは狡猾に8. ... h6と端に手を掛けました。これは将来的にキングサイドを集中砲火されるのを1手で緩和しているので手自体は価値が高いですが、実戦の流れの中でどのタイミングで取り入れるかはなかなか難しいところがあります。本譜ではここから9. Ne4 Nxe5 10. c4 Ne3 11. Bxe3 feと両者合意の上でエクスチェンジを済ませました。

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(8. 0-0 h6 9. Ne4 Nxd5 10. c4 Ne3 11. Bxe3 fe まで)

  ここでの手の作り方は少し難しいですね。損ねるとゲーム自体が終わってしまう危険もあります。スパスキーは12. c5と出てビショップを引かせてから自分もビショップを引く順を選びました。13. Bc2は、クイーンの縦を通しながら、何かの時にBb3と出るのが、キャスリングした黒のキングの位置を直接睨むのでひとつ狙い筋が増えます。Re8と寄る手は、Be7と引いたビショップを活用した瞬間にルークの利きが白陣を睨むという主張でしょう。しかし次の14. Qd3を考えるとあまり良い手ではなかったかもしれません。

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(12. c5 Be7 13. Bc2 Re8 まで)

  ここで14. Qd3はいいですが、14. ... e2に対しての15. Nd6のサクリファイスがなかなか難しい手でした。

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(14. Qd3 e2 15. Nd6 まで)

 ここで落ちついて15. ... ef=Q+と指すと、16. Rxf1 Bxd6となってまだわからなかったのです。

 本譜では、ブロンスタインはNf8と引いて、白マスビショップのダイアゴナルを開くことを選びましたが、ここは結構白が良いと思います。進めて、17. Rxf1にBf5と指したところでは、お互いのマイナーピースがお互いのクイーンを狙っている状況になっています。

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(15. ... Nf8 16. Nxf7 ef=Q+ 17. Rxf1 Bf5 まで)

 しかし、これは18. Qxf5から攻めて行っても白は大丈夫な局面なのです。5手先のエンディングが、スパスキーには見えていて、ブロンスタインには錯覚があったのでしょう。

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(18. Qxf5 Qd7 19. Qf4 Bf6 20. N3e5 Qe7 21. Bb3 まで)

 21. Bb3は味の良い手ですね。一気呵成に攻め込む体勢を作って、スパスキーも内心は快哉を叫んでいたのではないでしょうか。

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(21. ... Bxe5 22. Nxe5+ まで)

 このディスカバード・チェックが絶妙ですね。ちょうどここらあたりが、先述の『007』で出て来たシーンになります。目を瞑れば、ヴラディク・シェイバル演じるクロンスティーンが、煙草を吹かしながらチェックと渋い声で告げるシーンが眼前に浮かぶようです。

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(22. ... Kh7 23. Qe4+ 1-0)

 投了図以下、Ng6では#3、Kh8では#4で、従って23. ... g6が本筋ですが、24. Rxf8から一手一手です。

 

 ……どうでしょうか。このゲームの素晴らしさを、少しでもお伝えできたなら、それは幸いです。

 最後に、私の好きなドイツの諺を引用して、代打はしめやかに去ろうと思います。

――馬鹿にはチェスができないが馬鹿しかチェスはしないものだ。

 ……どう、思いますか?色んなことを考えてしまいますね。鷺沢文香でした。

 

(続く)

星巡る物語 第2回 ~Robert James "Bobby" Ficher~

 

 星の光は、遠く時間と空間を超えて降り注ぎ、我々に神妙な感傷を与える。

 遥か過去に放たれた恒星の、身を削る光が、今日も我々を照らしていく――

 

アナスタシア「ドーブライ、ヴィエーチル……こんばんは、アーニャです」

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アナスタシア「星巡る物語イストリア、2回目ですね。アーニャは今日、どこにいるでしょう?」

 

 アナスタシアの後ろに広がっているのは、運河だ。その向こう側に、不夜城の如く煌々と光を点すビル街が見える。

 

アナスタシア「アーニャは今日、イリノイ州はシカゴ川に来ています。ジリョーニィ……聖パトリックの祝日に、緑色に染まることでも有名な川ですね」

 

 シカゴ川は、アメリカ合衆国イリノイ州クック郡シカゴのダウンタウンを流れる川であり、シカゴのランドマークとして有名なものは殆どこの河川沿いにあると言っても過言ではない。

 シカゴという街は、ニューヨークに次ぐ第二の都市として、19世紀から20世紀にかけ、鉄道・航空そして海運の輸送の要衝として栄えた歴史を持つ街であり、現在も世界で十指に入る金融センターである。

 

アナスタシア「その人は、1943年3月9日に、このシカゴの地で産声を上げました」

 

 第11代チェス・世界チャンピオン、ロバート・ジェームズ・フィッシャー。彼の死後今もなお、世界中のチェスプレイヤーは、憧憬と敬愛の念を込めて彼を『ボビー・フィッシャー』と呼び慕う。

 

アナスタシア「彼の生い立ちを知ると、チェスがフィッシャーを必要としたのと同じくらい、フィッシャーにとってチェスは掛け替えのないものだったのだと、そう思います。以前、カナデの雑誌で記事を観たことがありますが、この機に振り返ってみましょう」

 

 2人のユダヤ人、レジーナ・フィッシャーとハンス・ゲルハルト・フィッシャーは、モスクワで出逢い、結婚した。この地で長女のジョーンを儲け、家庭は幸福の予感と期待に満ち満ちていた。しかし少し後、ソビエト連邦反ユダヤ主義が広がったために、2人はパリへと移ったのである。

 

アナスタシア「ソビエトロシアの広大な国土は、色んな民族の歴史の上に依って立つ大地です。そして、それは悲しい歴史も数え切れぬほど持っている、ということですね。まだユーラシア大陸にロシア公国が設立される前の話です。今のウクライナの辺りには、キエフ公国と呼ばれた国がありました。この国は、近隣の国々から侵略を受けていたのです。そして、その国々の国教はユダヤ教でした」

 

 過去を現在の視点で一概に理解することは能わない。時に我々は拗れた糸と掛け違えたボタンを歴史のテキストの中に見出しては、歎息するしかないのである。

 正視することも陰惨な迫害の歴史。その唾棄されるべきポピュリズムが蔓延した背景に、微かな助燃性を嗅ぎ取ることも、また哀しい。 

 

アナスタシア「レジーナとハンスは後に離婚し、レジーナは国籍を持っていたアメリカへと更に移住します。こうして辿り着いた自由の国で、ボビー・フィッシャーは生まれました」

 

 ロバート・ジェームズ・フィッシャーの出生証明に書かれている父親は間違いなく、ハンス・フィッシャーである。しかし、彼の靴がアメリカの土を踏むことは生涯なかった。

 

・少年とチェスの邂逅

 

アナスタシア「フィッシャーがチェスと出会ったのは、彼が6歳のときでした。スィストラ……彼の姉・ジェーンが、わずか1ドルのチェスセットを買い与えたときに、誰がこの落ち着きのない少年がチェスの歴史に燦然と輝く記録を打ち立て、合衆国民から『英雄』と称えられる存在になると思ったことでしょう」

 

 まるでフェアリー・ゴッド・マザーに見初められた瞬間から、栄華の階をひた走ることが決められたシンデレラの様な、運命だ。シンデレラ・ストーリーは実在する。

 

アナスタシア「姉に簡単にチェスゲームのルールの手ほどきを受けたフィッシャーは、このときから64マスのジャングルにのめり込むようになりますね」

 

 2年後は、ボビー・フィッシャーにとって、またその後のチェスの歴史にとっての一大転機であった。彼の母親が、彼の手を引いて近所のチェス・クラブを訪ねるのである。

 

アナスタシア「思惑は、息子の打ちこむ姿を応援してあげようなんて美談では決してなかったといいます。「こっぴどく負けて、チェスなんか諦めてしまえばいい」、彼の母親にはそんな思いがあったのでしょう」

 

 しかし彼女の目論見を裏切り、ボビーは益々チェスにのめり込み、また上達していくのである。

 

アナスタシア「ちょうどこの時期、共産党員となったレジーナが、男を家に連れ込む爛れた日々を送っていたことも、フィッシャーをチェス盤に繋ぎ止めた一因かもしれませんね」

 

 この時期、シカゴでは数奇なパズルのピースが嵌って行くように、いろいろな出来事が、ロバート・ジェームズ・フィッシャーがチェスに打ち込むという事実に収斂していったのである。手放しで歓迎されない様な類のイベントが幾重にも積み重なり、ボビーを盤上没我の境地に取り残して時間が流れていった。

 

アナスタシア「彼が最初に公式トーナメントに参加したのは、11歳の時でした。そして、ボビー・フィッシャーは14歳でインターナショナルマスターの資格を収めると共にアメリカ国内の覇者となり、15歳でグランドマスターの資格を手にしました。時の最年少記録です」

 

 1957年のアメリカは、これまでにない期待に湧いたことだろう。何せ、チェスはソビエト連邦出身のチャンピオンが独占する一強時代にあったのだ。

 サンフランシスコで開かれたジュニア選手権で優勝したボビーは、続く全米オープンニュージャージー・オープン、そしてニューヨークで開催された全米選手権と連覇したのである。この頃から、豊富なロシア語の文献に学ぶために、彼はロシア語を学び始めたという。

 

アナスタシア「17歳の年、1960年にはマル・デル・プラタ、レイキャビクと続けて世界大会で優勝します。そのときの有名なゲームのひとつを、ユズが前に紹介していましたね。更に、ライプツィヒで開催されたチェス・オリンピック団体戦では大将として出場、最高勝率と名を上げました」

 

 世界を転戦しては常勝。この常勝将軍の足が止まることはあるのだろうか、と当時のチェスファンは誰もが思った。

 

アナスタシア「ライプツィヒから帰ったフィッシャーはまた全米選手権を当然の様に優勝で飾った後、ストックホルムへと赴きました。1962年のことで、ここで開かれたインター・ゾーナルでも1位に輝きましたが、続くカリブ海にあったオランダ王国の島・キュラソーで4位と落ち込み、久しく味わうことのなかった辛酸を舐めましたね」

 

 この後、早熟の天才はめっきり姿を見せなくなる。一度目の引退であった。

 

・二度目の引退、復帰、そして玉座へ

 

アナスタシア「彼が国際舞台に再登場したのは、1966年のことでした。彼の復帰を世界が待っていましたが、意に介さずその2年後にはまた引退してしまいます」

 

 

 そして、更に2年の時を経て、伝説が始まったのである。

 

アナスタシア「1970年の復帰を誰よりも待ち望んでいたのは、何よりチェスそのものでした。当時のチェス界にあって長らく覇権を握り続けてきたのはソビエト連邦です。この年、ソ連中の最高峰のプレイヤー10人と、ソ連以外の全世界の最高峰のプレイヤー10人による団体対抗戦が開かれましたね」

 

 ここに副将として出場したのがボビー・フィッシャーであった。迎え撃つペトロシアンを3-1で下し、ブランクを感じさせるどころか、その実力は6歳の時から停滞を知らず尚上がり続けていることを証明したのだ。

 

 

アナスタシア「そこからはモーレツな勢いだったといいます。ザーグレブ、ブエノス・アイレス、マジョルカと世界大会に出場しては優勝を引っさげて帰還したフィッシャーをアメリカは歓迎し、また世界はチャンピオンへの挑戦者候補と目することを余儀なくされたのですね」

 

 その勢いは想像するしかないが、チャンピオンへの挑戦者決定戦でフィッシャーをまず待ち受けたのはタイマノフとラーセンであり、彼らもまたチェス史に燦然と輝きを残す紛う方無き天才である。しかし世間は若き英雄が彼らを下すことを確信していたという。

 

アナスタシア「ハラショー!とはいえ、この二人の大天才のどちらにもストレート6-0でフィッシャーが完勝、なんて結末、誰が想像できたでしょう!」

 

 

 

 ついで、最後にチャンピオンへの挑戦権の前に立ちはだかったのは、因縁のペトロシアンであった。『くろがね』の異名で鳴らした、防御を持ち味にするペトロシアンは、当時チャンピオン位を失っていたとはいえ、頂近くにいるプレイヤーの一人であった。

 

アナスタシア「ペトロシアンは、フィッシャーとの対戦後、「スパスキー・フィッシャー戦は大荒れする」と予言しました。それが、何よりも雄弁に、フィッシャーの強さを証明していました」

 

『くろがね』ペトロシアンを5-1の好スコアで下したフィッシャーに世界が否応なく注目する中、第28期世界チャンピオン決定戦の火ぶたが切って落とされる。1972年、7月11日、レイキャビク

 

 

アナスタシア「1局目はスパスキーがリードしました。ここで思わぬ誤算が起きたのですね」

 

 2局目にフィッシャーは姿を現さなかったのである。

 

アナスタシア「東のチェス・ファンは第1局で貫録を見せつけたスパスキーの仕上がりに加え、怖気づいたかとも思われたこのスパスキーの不戦勝に大いに沸きました。しかし勝負の場へと戻ってきたフィッシャーはこのあと3局を引き分け以上で手中に納め、第5局を終えて気が付いたときには、スコアは2.5-2.5と拮抗していました」

 

 

 21局を終えて、12.5-8.5のスコアで、ボビー・フィッシャーは戴冠した。

 ニクソンとブレジネフの代理戦争の様相を呈したこの世界チャンピオン決定戦のシーズン。勝ったのは、24年間のソビエト覇権に終止符を打ったアメリカの英雄だった。

 

アナスタシア「こうして防衛の日々を送ることになったフィッシャーは、防衛戦の運営についていくつかの提案をFIDEにします。その条件の中のひとつが退けられたことを理由として、フィッシャーは世界チャンピオンを返上、後任にはカルポフが就きました。これが、1975年の出来事ですね」

 

 そしてこれが、チェスプレイヤー、ボビー・フィッシャーの引退であった。

 

・隠棲、放浪、そして晩年

 

 ボビー・フィッシャーはその後チェスの試合を拒否し、隠遁生活に入ったのであった。

 

アナスタシア「1970年代の彼は、新興宗教の施設で暮らしていたといいます。後に自発的にこの教団から離れるフィッシャーでしたが、狂気と紙一重の所で戦ってきた彼の精神は拠り所を必要としていたのですね……」

 

 一切のチェス・ゲームを拒否していたボビー・フィッシャーが、生前の公式引退後に世界を騒がせたことが二度ある。その一度目は、92年にボリス・スパスキーと行った再現試合であった。

 

アナスタシア「これは、ハンガリーのチェスプレイヤーがフィッシャーに『なぜもうプレイをしないのか』という手紙を送ったことに始まりました。彼女の根回しによって再現試合まで漕ぎつけられたのですが、開かれた場所がユーゴスラビアでしたね」

 

 ボスニア問題、というものが世界の新聞を賑わしていた時分である。ユーゴスラビア経済制裁措置を取っていたアメリカは、ボビー・フィッシャーにも「試合を放棄するよう」警告をしていた。同国民がユーゴスラビアで経済活動をすることを禁じていたからである。

 

アナスタシア「しかしフィッシャーはこの通告を世界に公開し、記者会見の場でこの手紙に唾を吐いて見せました。そしてマッチに参加、見事に勝利を収めました」

 

 賞金は300万ドル以上だったという。アメリカはこの件を受けて彼を起訴、アメリカ国籍の剝奪に踏み切った。こうして、彼はまた暫く表舞台から姿を消すことになったのである。

 

アナスタシア「次に、彼がメディアを騒がせたのは2004年のことでした」

 

 フィリピンへと出国しようとした、成田空港でボビー・フィッシャーは入国管理法違反の疑いで収容されたのである。

 アメリカ国籍を追われたのち、彼はハンガリー、スイス、香港、韓国、フィリピンや日本を転々とし、中でもフィリピンと日本は2000年代の彼の生活拠点であったという。

 日本では元日本女子チェスチャンピオンで、現在も日本チェス協会事務局長を務める渡井美代子氏と、フィリピンではマリリン・ヤング氏と事実婚の上で暮していた。

 

アナスタシア「この収容を受け、時のブッシュ政権・アメリカ政府はフィッシャーの身柄の引き渡しを要求しましたが、フィッシャーはそれを拒否しました」

 

 パスポートの失効、市民権の喪失という状態でのボビー・フィッシャーを取り巻く状況は非常に不透明で、世界が困惑していた。

 彼の父親の国籍があったドイツでは、ボビーの国籍を与える運動を起こす人々がいたし、日本でも、元外務政務次官でチェス愛好家であった石井一二氏や、チェスを趣味として活躍する将棋棋士羽生善治氏、また民主党榛葉賀津也氏や社民党福島瑞穂氏といった面々が彼を支援し続けた。英雄を慕う人々の温かい支援と擁護の果て、アイスランドが人道的見地から彼に市民権を与える決定をしたのが2004年11月のことだった。

 

アナスタシア「アメリカ政府もこれを認め、日本政府は2005年3月末に彼をアイスランドへと見送りました。以後は静かな余生を送ったと聞きます」

 

 この数奇な天才は、チェスによほど縁が深かったと見える。黒と白のマスの数と同じ、64歳にして、『英雄』ロバート・ジェームズ・フィッシャーはこの世を去った。彼は因縁深いアイスランドレイキャビクで眠ったのであった。まるで、また何年かしたらどこかで一騒ぎ起こすのではないか、そんな失踪と変わらぬ飄々とした死だった。

 

アナスタシア「『ボビー・フィッシャーを探して』という書と、それを基にした映画を知っていますか。あの主人公、フレッド・ウェイツキンもまた、1972年のレイキャビクでの激戦によって、チェスへと誘われた者のひとりだと述懐していますね」

 

 派手で、時に粗暴で野卑に見られたボビー・フィッシャーだったが、それは全て、彼が真実の為だけにまっしぐらに生きたシルシなのだと思う。暖かい尊敬を持って包まれた彼の晩年が、誰の理解も拒んで生きた孤独な天稟に寄り添ったことばかりを願ってやまない。

 ひとりの英雄として、また等身大の、誰よりも人間らしい人間の生き様として。ボビー・フィッシャーという、恒星とも違う流星のキセキに思いを馳せてみる夜はまだ若い――

 

 チェスは人生だ。

――ロバート・ジェームズ・"ボビー"フィッシャー

 

アナスタシア「ダスヴィダーニャ、ダフストレーチ!」

 

(続く)

 

(ナレーション・川島瑞樹 / 文・鷺沢文香)

Kate's CHESS-English Lecture [Lesson 2]

 

ケイト「ハーイ、今夜もやっていきまショ、Kate's CHESS-English Lectureのlesson2ヨ!」

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依田芳乃「れっすんてゅー、でしてー。あしすたんとを務めるのは依田は芳乃でしてー」

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ケイト「前回は『オープニングの動詞』についてやったのヨネ!」

 

芳乃「加蓮殿のぶらんだーはなかなかの見物だったのでしてー」

 

ケイト「というわけで、今日は『ミドルゲームの動詞』についてやりまショ!」

 

芳乃「宜しくお願いしますー」

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ケイト「ボードは前回の続きから使っていきまショ」

 

芳乃「連続で収録してるのがバレますねー」

 

ケイト「な、生放送だからネ!Do you understand?!」

 

芳乃「おふこーす、でしてー」

 

ケイト「ここでthe second playerのmoveネ」

 

芳乃「黒番、後手のことですよー」

 

ケイト「ちなみに、theを落として『second players』というとこれは『二流のプレーヤー』という意味になっちゃうから、気を付けてネ!」

 

芳乃「悪口というか、そういう言い回しこそねいてぃぶでない人間にとっては分りづらい表現ですからねー、とても参考になりますー」

 

ケイト「あまり悪口ばかり堪能になるのもどうかと思うけどネ……ここはN7b6と出て、ピースをholdするのがいいカシラ?」

 

芳乃「ほーるど、とは?」

 

ケイト「今、黒のNd5は白のNc3に睨まれているデショ?逆に、白のthreatがNxd5なわけだけど……」

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芳乃「すれーと、とはなんなのでして?」

 

ケイト「threatは、『次の狙い』、とか『潜在的な脅威』とかのことカナ。脅しは時として実行よりも有力ヨ!」

 

芳乃「なるほどー。それで、ほーるどは?」

 

ケイト「holdは、相手の狙いに反応して、均衡を保つような手を指すことヨ!他に、局面自体に使って『持ちこたえる』とか『上手に凌ぐ』とか、そんな意味もあるカナ」

 

芳乃「なるほどー。そしてケイト殿はN7b6が良い手だとお考えでー」

 

ケイト「あ、言い忘れてたけど私はプレーヤーじゃなくて観る専だからネ!棋力はさっぱりヨ!」

 

芳乃「観る将、みたいなものでして?」

 

ケイト「そうそう、そんなカンジ!」

 

芳乃「では、a4と突いてー」

 

ケイト「Nxc3にbcネ!ちなみに、このlessonでは実際にその場でプレイしてるから、その辺も見物ヨ!」

 

芳乃「我々はー、アナスタシア殿やフレデリカ殿といったプレイヤーには足許にも及ばないのでしてー……」

 

ケイト「ヨシノにはショーギがあるじゃナイ!」

 

芳乃「最近茄子殿に勝てないのでして……」

 

ケイト「……一緒にチェス、本格的に始めよっカ?何かplusになるカモ!」

 

芳乃「……なるほど、妙案なのですー」

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ケイト「knightをexchangeしてここネ!pieceを『取る』のはtakeが一番使われて、少し堅い観戦記とかではcatchとかcaptureとか使うけど、そのtakingの中でも特に『交換する』のがexchangeネ」

 

芳乃「今のはないと・えくすちぇーんじ」

 

ケイト「GRRRREAT」ナデナデ

 

芳乃「えへへ」

 

ケイト「ここでは、exchangeを通してdファイルがsemi openになったのネ!つまり、相対的に黒は白のd-fileを『弱めた』ってコトで、これはweakenを使うワ」

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ケイト「Bishopのナナメをdiagonalというのネ!もともと『対角線』の意味ヨ。ここで黒はBb7とlong diagonalに乗せてみまショ!Bishopをlong diagonalに乗せるのを、fianchettoと言うワ。fianchettoはもともとitalian wordヨ」

 

芳乃「これはでぃあごなるでして?それともだいあごなる?」

 

ケイト「Nativeは『ダイゴナル』とdiをしっかり読んで、次のaにstressを置く人が多いわネ。でも、会話の中では『ディアーゴナル』というように発音する人も結構いるワ」

 

芳乃「だいあーごなる、おっけーでして」

 

ケイト「ここからどうスル?1. ab ab 2. Rxa8 Qxa8とでもしてみようカシラ」

 

芳乃「そこで3. Qd2でしてー」

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ケイト「Bishop pair is so beautiful!」

 

芳乃「美濃囲いは美しい、みたいなものでしてー?」

 

ケイト「ミノガコイ?鯉?」

 

芳乃「何でもないのでしてー」

 

ケイト「ちなみに、このQa8~Bb7の形のように、piecesの利きが被っているをbatteryというのヨ!」

 

芳乃「ばってりー、野球でして」

 

ケイト「そして、一列に並んだpiecesで向こう側にいるpieceを責めるのを、X-ray attackというワ」

 

芳乃「X線ですねー」

 

ケイト「外側を透過する様子からネ!それじゃ、今日はこのくらいにしましょうカ!」

 

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ケイト「おなじみ、ケイトの、One Point Lessonのコーナー!」

 

芳乃「この番組では、毎回最後に寸劇を取り入れたわんぽいんとれっすんをお送りするのでしてー。いつの間にかおなじみこーなーを名乗り出したのですー」

 

ケイト「き、今日のVTRはこちら!」

 

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白坂小梅「UFUFU... you just comitted a howler.... I had bishop to the good...」

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ケイト「今日のexpressionは、『have ~ to the good』ネ」

 

芳乃「これで、『~得』という意味になるのでしてー。ところで、VTRには小梅殿ひとりしか映っていませんでしたがー、彼女は誰と戦っていたのでしてー?」

 

ケイト「……that girl?」

 

(続く)

 

 

速水奏の映画メモ(『007 ロシアより愛をこめて』)

水奏の映画メモ

イドル・速水奏。夜の帳をもってしても、彼女の秘めたるエネルギーと魅力を覆い隠すことは能わない。月の光に映し出されたその妖艶な瞳は恰もロマンスの前に無慈悲な夜の女王の様である。

 女の抑えようとして尚抑えきれない魅力は、彼女独特の世界の洞察に由来する。その洞察力を栄養してきたのが、彼女の人生に付き添ってきた古今東西の名作映画であることは明らかだ。

 本誌屈指の人気コーナー、『速水奏の映画メモ』。彼女の瞳にはハードボイルドがどの様に映っているのか――。

 (文責・鷺沢文香)

 

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 ねぇ、ふたりでパーティー抜け出さない?…ふふっ。なーんて、映画のワンシーンみたいよね、このセリフ。

  今日紹介するのは、冒頭のチェスのシーンがとても印象的なこの映画よ。

 

『007 ロシアより愛をこめて、1963年公開のイギリス映画で、上映時間は113分。

 

 運河のシーンから一転、ベニスで行われたチェス選手権。優勝を決めたクロンスティーン(ヴラディク・シェイバル)はラスト・ゲーム中に「至急、出頭せよ」と言う指令を受ける。

 彼はチェスのチャンピオンであると共に、ソビエト情報部主任であった彼。裏の顔は国際犯罪組織・スペクターの一員であり、司令部長でもあったのね。

 スペクターの目的は、英国情報部のジェームズ・ボンド(ショーン・コネリー)への復讐と、ソビエト情報部の新型暗号解読機『レクター』の入手。復讐というのは第1作目を受けてのことね。ドクター・ノオの仇討といったところかしら。007シリーズ最高傑作の名高い本作は第2作目よ。単に殺すだけではなく、ロマンスがらみで汚名を着せて殺すことを目的としているから、その復讐心は筋金入りね。スペクターは、ソビエト諜報部の殺人機関元課長(ロッテ・レーニャ)が極秘裏に首脳部へと異動したことを聞きつけ、事情に疎い職員を利用してこの計画を遂行する段取りを調整したのよ。

 別日、英国情報部長、つまりボンドの上司であるM(バーナード・リー)の下に、トルコ支局長のケリム(ペドロ・アルメンダリス)から入った連絡はこう。タチアナ(ダニエラ・ビアンキ)というソビエト情報部の女子情報員が、ボンドの写真に一目ぼれをし、彼に会わせるよう依頼をしてきた、というもので、ロンドンへの護送にボンドが付くならばソビエトの『レクター』を盗み出す、という条件が付記されていたの。どう考えても罠よね。でも、ボンドは敢えてこの話を受けて、トルコはイスタンブールへと飛んだ。そうして、タチアナも現れ、彼女は手はず通り『レクター』を手中に収めるの。彼女の希望で、飛行機での逃亡ではなくオリエント急行を経由してロンドンへと向かうことになるの。ここではトルコ支局長のケリムが自ら護衛を申し出て随行するのだけど、その夜、彼はソビエト諜報部の刺客に襲われ殺されてしまう。

 タチアナを詰問してもその意図は不明で、次の駅では欠員を埋める護衛として、『Mから派遣された』というレッド(ロバート・ショウ)という男が乗り込む。しかし、彼はタチアナに睡眠薬を盛り、更に隙をついてボンドを襲撃するの。ボンドのコードネームは東京の同僚が死ぬ前に吐いた、と。実はレッドという男、二重スパイで本性は『スペクター』のアサシンだったのね。ボンドは彼を返り討ちにする。

 そして、レッドを迎える手はずになっていたトラックが、ボンドたちの乗るオリエント急行の行く手を阻むように線路上に停止していた。ボンドはこのトラックを奪って港へと向かうわ。途中、追ってきた敵のヘリを撃墜したりね。終始テンポがいいのも、本作の特徴よね。

 港へ到着したボンドとタチアナは、モーターボートを奪ってヴェニスへと向かうの。ヴェニスのホテルの部屋で、メイドに扮し入ってきた最後の刺客・ローザ(ロッテ・レーシャ)をタチアナが機転を利かせて仕留め、二人は邪魔者のいなくなったヴェニスを愉しむ……というのが大まかな粗筋かしら。

 

 まず驚くのは、本作は60年代に作られた、ということね。アクション映画の雛形はこんなに早く完成していたのだ、ということがこの映画を観るとよくわかるわ。列車の格闘シーンなんかは、今のアクションに目が慣れてしまった私たちにとってこそ、少しテンポを欠くように思うけれど、当時の映画界はどれだけの驚愕と興奮をもってこの映画を受け止めたのかしら、と思うと少し今に生きるのが悔しくなってくるくらいの出来だと思うのよ。その意味で、構成や手法としてもまさしく最高傑作として受け止められて然るべき作品だと私は思っているわ。間違えてはいけないのは『モスクワより愛をこめて』よ。絶対よ。

 少し解せないのは、骨の髄まで資本主義嫌いであったはずのタチアナがいとも簡単にボンドに惚れてしまうことなのだけれども……伊吹が『恋っていうのはそーゆーものなの!自分の何もかもを破壊して、新しく作り変えてしまう様な衝撃を恋愛ってゆーんだから!』って言うから、まぁ、そういうものなのかもしれないけれど。恋愛映画の機微はよくわからなくて、はぁ。

 それからもう一つ、強調したいのは、『等身大』に拘る姿勢が後々の映画史へ多大な影響を与えたに違いない、ってことかしら。どういうことかというと、主人公・ボンドにもいろいろ落ち度があったり、完璧超人では決してないのよ。寧ろ、在りのままの人間って感じがして。それに、『秘密兵器』よね。とんでもない重装備じゃなくて、アタッシュケースひとつ、と拍子抜けしてしまうくらいコンパクトなのが、逆に「本当に作れてしまいそう」なリアリティを与えていると思わない?コンパクトというのは、悪く言えば地味で見栄えに掛けるということだけれども、その分観客の想像力を掻き立てるという効果があるのよね。絶え間なく流れるテンポの良さの中に、リアリティやイマジネーションを掻き立てる効果を少しずつ鏤め、素敵な音楽が耳を打ち、そして細々と伏線や、既出のシーンに繋がる憎い演出が空間を埋めていく。ハードボイルドの金字塔であり、現代映画の原風景のひとつを観るような気がするわ。サスペンスやアクション要素も強めで、時間も2時間弱と短く、偶の休みに観てみるのも、悪くないんじゃないかしら。

 

 この、『ロシアより愛をこめて』とは、素晴らしい邦題だと個人的には思うのね。『完全なるチェックメイト』とは大違い……なんでもないわ。何が良いって、『ロシアの地から愛している』という意味があるのはまず当然でしょう?だって、ボンドが受けた指令というのは「ロマノヴァというソ連情報部の女性情報員が、ボンドの写真を見て一目惚れしたらしい。『彼に会わせてくれ、そしてもしロンドンに連れて逃げてくれたらソ連の暗号解読機を盗み出す』と言って来たが、どうするか」という指令だったのだから。ロマノヴァこと、タチアナがボンドに『From Russia with Love』だというのはイイじゃない?

 でも、実際に会ってタチアナは、本当にボンドに惹かれ惚れてしまうのよね。そして、罠ではなく、祖国ロシアを裏切ることになってしまう。つまり、祖国より愛を取るわけじゃない。だから『ロシアよりも、愛を大切にする』という意味も、この『ロシアより愛をこめて』という邦題は秘めているのよ。

 ちなみに、本邦初公開時のサブタイトルは『危機一』だった、というのも有名な逸話よね。危機一髪ではないところに、『銃の一発』と掛けてある洒落があるのよ、うふふ。オマージュで有名なのは『ルパン三世』かしら?

 

 ちなみに、冒頭シーンに出て来るチェスの終盤の話を少しするとね。

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 ここで白番、クロンスティーンの手番なのだけれど。ここから1. Nxe5+ Kh7 2. Qxe5と進めてここで黒がキングを倒すの。このゲームには実は元ネタがあって、それが、Boris Spassky vs David Bronsteinの1960年の名ゲームなのよ。こんなところに、スパスキーの欠片を観るなんて、ある意味、ヴェネツィア逃避行よりもロマンチックでしょう?ふふっ。

 

「罠に敢えて挑戦するのが英国人気質だ」

 最高にクールで、これぞハードボイルドの原点よね。

 スパスキーの話を聴いて、思い出したから。彼の名局が優しく彩りを添える名作を紹介させてもらったわ。

 どうかしら。天気のすぐれない夜が続く季節の足音が、アナタにも聴こえてきているんじゃない?そんな夜、英国人ぶって、気に入りの映画で夜を更かすのも、悪くないわよ。

 

(続く)